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  • 【ラーメン店・麵屋さくら井】「今あるものを大事にしたい」毎日食べられる「らぁ麺」誕生の成功の秘話とは?

    【ラーメン店・麵屋さくら井】「今あるものを大事にしたい」毎日食べられる「らぁ麺」誕生の成功の秘話とは?

    JR中央線または総武線三鷹駅から徒歩12分。住宅街に佇む人気の名店『麵屋さくら井』。

    2016年11月にオープンして以来、店主の櫻井祐太さんによる自慢のスープで味わう美味しいラーメンが好評を呼び食べログで星3.90、「食べログ ラーメン 百名店 TOKYO」も受賞する大人気店へと成長しました。

    店主の櫻井さんは名店「ラーメン処ほん田」の2号店で修行を積み、自身の地元である三鷹に出店、地道な努力を重ねてここまでやってきました。そんな櫻井さんの苦労や失敗、今後の目標についてお聞きしました。

    開業までの経緯

    始まりは年間500杯のラーメン好き

    大学在学中、ラーメンにハマった櫻井さん。年間500杯も食べるほどラーメン沼に浸かっていました。
    当時はラーメン屋さんになりたいという願望はなく、ただ純粋にラーメンを食べることが好きだったそう。
    そんな時、好きでよく行っていた「ラーメン処ほん田」が2号店をオープンすると知り、アルバイトを募集していたので軽い気持ちで大学の1年間やってみようかな、とバイトを始めました。

    働いていくうちに社員さんの仕事のモチベーションのすばらしさや仕事の楽しさを感じそのまま社員となりました。

    ラーメン処ほん田からの独立とタイミング

    ほん田での修行を始めて5年、徐々に物件を探し2年ほどして「あ、ここいいな」という物件を見つけ、様々な良いタイミングが重なり、元々30歳での独立を目標にしていたこともあり独立しての開業を決めました。

    三鷹を選んだ理由は、三鷹を盛り上げたいという思いから

    完全に独立という形で円満に送り出してもらい、三鷹での開業を決めた櫻井さん。
    三鷹を選んだ理由は実家が三鷹にありお店の回りがホームタウンであるということが大きな決め手となったそう。
    初めから三鷹での物件探しをしていたそうです。

    三鷹を盛り上げたい!そんな思いから地元に出店し、今や行列の絶えない人気店となりました。
    外観は住宅街ということもありシックな雰囲気です。

    特製醤油らぁ麺 1,400円(税込)

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    イメージ通りにはいかなかった

    5年間の修行中、ほん田さんの所でも色々なお店で働かせてもらったそう。
    東十条の本店、中箱のお店からラーメンストリートの地下で20席以上ある大箱のお店まで様々なタイプのお店を経験し、仕込みのサイクルやお店のキャパごとのサイクルというのを学びました。

    しかし、いざ自分のお店をオープンしたところ、理解していたはずのイメージ通りには行かず全く思うようにはいかなかったそうです。
    オープン当初は1日1時間寝られるか寝られないか、という日々が続いたそうでこんなにイメージした通りに出来ないものかと思い悩んだんだそう。

    大変だったのはシステムの構築

    忙しさで寝られないというよりは、お客さんは今に比べたら断然少なかったのですが、自分でシステムを作り上げるまで苦心したとのこと。

    最初は社員やスタッフも雇っておらず、アルバイトと櫻井さんの二人三脚でこの時間にこれをやって、など時間や作業のシステム作りが軌道に乗るまでが大変で、1か月くらいは1時間睡眠という日々が続いたそうです。

    苦労とは感じない味づくり

    倒れるまではいきませんでしたけど、今はもう完全に落ち着いて、7年の月日が経ちました。社員もスタッフもいるのできちんとサイクルができているとのこと。
    味づくりに関しては、最初と今では全く違うものになっている、と櫻井さんは語ります。

    「苦労とは感じません。そこは日々、本当にちょっとずつ変えてやっていったことなので」と力強い言葉を頂きました。

    飽きないための味づくり

    味を変化させていくことについては、お客さんの反応も見つつ、櫻井さん自ら1日1杯は必ずラーメンを食べるそう。
    毎日食べていると「ん?あれ?」と思うことがあるそうで、それはお客さんの為でもあり自分が飽きない為にも日々変え続けているとのこと。

    新たな挑戦

    他に苦労したことは?と尋ねると「2号店の開業」を挙げてくださいました。
    2号店は1回目の緊急事態宣言のさなかだったそう。
    不動産屋さんにも「本当に大丈夫ですか?」と聞かれるほどだったと笑う櫻井さん。

    しかし、ずっとやってみたかったラーメン居酒屋という業態を良い物件を見つけたことでいいタイミングだ、「今しかない!」と思って始めたのだそうです。
    今は人の流れも戻ってきて2店舗とも順調とのことです。

    日々の努力が実を結ぶ

    やはり日々の努力、日々味を変化させていくことが一番大事だと力強く語ります。
    「人気店はみんなやっていることだと思う」と強い信念を伺わせました。

    開業してみてはじめてわかったこと

    居ぬき物件の落とし穴

    元々スナックだった物件を居ぬき物件として使うことになった櫻井さんでしたが、お店の工事の知識とかは全くなく、「同じ飲食店だしある程度行けるだろうな」と思っていたのが失敗だったそう。

    スナックとラーメン屋という全く違う業態だったため内装が違い過ぎてほぼ全部壊してからの着工となり1から作り直すという状況でかえってお金がかかってしまったそうです。

    始めてみないとわからなかった事がいっぱいありました。「ちょっと狭いな」と思いつつも8坪の物件を選びましたが、「グリストラップ」の容量などの点からも改めて「狭いとちょっと大変だな。」と思ったとのこと。

    テンポスとの関わり

    さくら井をオープンする前から新宿店にお世話になった、と櫻井さん。
    厨房道具は寸胴や鍋、ポットなどあらゆるものをテンポスで揃えたそう。
    何かなくなるとすぐ中央線で1本のテンポスへ駆けつけました。

    「かっぱ橋」とかも行くそうですが、やはり「あそこ(テンポス)に行けばたぶん求めてるものはあるだろうな」と頭にあるそうで今は行く頻度も減ったようですが、1、2年目は1か月に1回は利用していたようです。

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    今後の展望:今あるものを大事に

    「無理にお店を広げたいって想いはない」と櫻井さんは語ります。
    2号店も同じ駅圏内にあり、「自分の中では味が見れる範囲でやっていきたい。」と強くおっしゃっていました。
    人が育ってタイミングが合い次第次があるかな。とのこと。

    広げれば広げるほど苦労があるため「今あるものをよりよくしていきたい」という気持ちが大きいということでした。

    開業する人へのメッセージ

    開業してから分かったことや苦労した話にも通じることだけれど、本当にやってみないと分からない事も多いので、と言う櫻井さん。

    ある程度の覚悟が必要だという気持ちと、味づくりもそうなんですけどオープンして、そこから日々ブラッシュアップしていくので「踏み出すことも大事かな、踏み込む第1歩」と櫻井さんは力強く語ってくれました。

    まとめ

    櫻井さんにやりがいを感じる時は?と聞くと

    「僕は、お客さんが美味しいって言ってくれるのもめっちゃ嬉しいんですけれども、
    お客さんの為でもあり割と自分のためにラーメン毎日作り続けてるってところもあるので。
    現場に絶対立って味見てああ、良い営業したな美味しかったなっていうのは日々の1番ですね」

    と清々しく返ってきました。

    ラーメンが大好きな櫻井さんにとって天職ともいえるラーメン作りは、「毎日食べても飽きない味」を追求した日々の努力の積み重ねなのだと感じました。

    好きこそものの上手なれ、という言葉通り好きなものを努力して追求し続けているからこそ人気店へと成長したのだと思います。

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    #取材協力
    店名:麵屋さくら井
    店主:櫻井祐太氏
    住所:東京都武蔵野市西久保2-15-27
    TEL:非公開

  • 【ラーメン店・ラーメン久保田】目指すは「3世代に愛される老舗」と語る店主が、東京・阿佐ヶ谷の名店「阿佐谷ホープ軒」から独立後の成功秘話とは?

    【ラーメン店・ラーメン久保田】目指すは「3世代に愛される老舗」と語る店主が、東京・阿佐ヶ谷の名店「阿佐谷ホープ軒」から独立後の成功秘話とは?

    JR中央線荻窪駅から徒歩4分の立地にあるラーメン店「ラーメン久保田」。2011年にオープンして以来、地域密着系のTV番組やメディアで取り上げられる実力店になりました。店主は、東京・阿佐ヶ谷にある創業75年の「阿佐谷ホープ軒」「ホープ軒本舗」の製麺所で7年の修行を積んだ久保田雄(ゆう)さん。修行先でのノウハウをさらに高めて完成させた、「毎日食べられる一杯」を極めた濃厚な豚骨醤油なのに優しい味わいが特徴の中華そばが大人気!「ホープ軒」愛が半端ない店主のこだわりが詰まった一杯が誕生し、荻窪を代表するラーメンの人気店となった経緯やエピソードを紹介していきます。

    開業までの経緯

    母親と叔父が東京・阿佐ヶ谷にある1983年創業、今年で85年の「ホープ軒本舗」で働いていたこともあって、小さい頃からラーメンをよく食べていました。その縁もあってか、2005年21歳からここで働き始めました。最初は店舗でしたが、2007年から「ホープ軒本舗」の製麺所で麺づくりを学び、合計7年間の修行後、2011年にJR中央線荻窪駅から徒歩4分の立地に「ラーメン久保田」を開業しました。

    「ホープ軒本舗」の製麺所は、いまだに頼まれれば行って製麺作業を行っています。2007年~2014年くらいまでは開みっちり麺づくりを学びましたので、開業後の4年間は、開業しながらも麺づくりを学んでいたことになりますね。これは他の店主さんと比べれば珍しいことかもしれないですね。

    身内が「ホープ軒本舗」で働いていたこともあり、苦労することもなくスムーズに「阿佐谷ホープ軒」で働くことが出来たのは運が良かったですね。

    このように、東京・阿佐ヶ谷にある創業75年の「阿佐谷ホープ軒」「ホープ軒本舗」の製麺所で7年の修行を積んだ後、自分が生まれ育った「荻窪」で、2011年11月28日に荻窪駅から徒歩4分の場所に「ラーメン久保田」をオープン。新店ながら「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「ラーメン久保田」一番人気の看板メニュー「中華そば」800円(税込)

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    開業する前に苦労したことは、融資に関して地域密着の信用金庫など3件に断られたこと。最終的には大手都銀で融資を受けられましたが、すんなりいくかと思いましたので、早めに準備し行動するに越したことはないです。

    また、自分が思っていた以上にお客様を付けることがものすごく大変でした。修行していた「阿佐谷ホープ軒」は大人気のお店で、当たり前のようにお客様が来店されていましたが、実際に自分のお店を知ってもらうのも大変で、お店になかなか入ってきてもらえない状態が続きました。

    その状態を打開するために開業後すぐに行ったのが、地道に手作りのビラ配りを行うことでした。奥さんにも客引きや声がけなどを手伝ってもらいました。開業当時の2011年は今ほどSNSが浸透していなかったので、アナログではありますが徐々に効果が出てきました。開業当初は1日100人くらいの来店を見込んでいましたが、実際には40人くらいで苦労しました。

    いちばん大きかったのは、TVで紹介されたこと。開店して2年目くらいに地域密着系の人気TV番組で紹介いただき、コロナ禍でも、日曜お昼の旅バラエティ番組で紹介され反響がありました。雑誌での紹介もあり、メディアのパワーには驚かされましたし、ありがたかったです。

    また、開業したのが生まれ育った「荻窪」ということもあり、大きな失敗もなく今に至ります。恐らく失敗していたら今はないかなと思いますが。(笑)

    もちろん、コロナ禍は他の店舗様同様きつかったですよ。コロナのように誰も想像がつかないことや、自然災害が発生したら大変な状況になりますが、コロナ禍では、一切休まずに行政の指導に従いながら営業をしました。なんとかお客様も来店いただき生活をすることができました。

    カウンターのみ7席のスッキリとした店内。

    開業してみてはじめてわかったこと

    開業してみて、お客様目線になった時にすごく見つめ直すことがあったと思います。開業してからは、自分がお客として他の飲食店に食べに行った時、店員さんの態度など、ちゃんとなっているのかなと思うことがあり、お客として来店しても、なるべくお店側の視点に立って、嫌われないように自然と気遣うようになりました。

    修業時代はこのようなことは一切思わなかったのですが、自分のお店に来店してくれるお客様が教えてくれたのではないかと思います。というのも、今のご時世なのか良いお客様が多く来店されます。例えば行列時には、端によって他の人の妨げにならないよう配慮してくれて、そんな気遣いに自分が育てられているような気がしています。

    背油が浮く豚骨醤油のスープが程よい濃さで歯切れのよい麺と絶妙にマッチ。チャーシューはしっかりとした味付けで素朴な麺の味を引き立てます。濃厚そうな見た目ですが、毎日でも食べたくなる優しい味わいが特徴。

    東京・阿佐ヶ谷にある創業75年の「阿佐谷ホープ軒」「ホープ軒本舗」の製麺所で7年の修行を積んだ後、自分が生まれ育った「荻窪」に「ラーメン久保田」を開業。

    テンポスとのかかわり

    開業時に新宿店でお世話になり、様々な調理器具を購入させていただきました。また、最近でも五徳が壊れたので、車で川口店に行き購入(新品)しました。通販だと明日使いたいという時には難しいですが、店舗だと、商品がものすごく揃っているので重宝しています。

    新宿店に行った際に、厨房機器以外に、椅子やテーブルも置いてあり、お店に行って商品を見ているだけでも楽しいですね。来店頻度は何か壊れたりよっぽど困ったことが起きたりしないと行きませんが、メンバーズカードを作成しましたので、機会があったらまた利用したいと思っています!

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    今は、お店を増やすことは考えていないので、地域の皆さんが知ってくれる老舗店舗になることを目標にしています。修行した「阿佐谷ホープ軒」が創業75年と老舗で、「ホープ軒本舗」にいたっては、1935年の屋台創業から続く、昭和の空気感を今に残す中華そば店として創業88年の超老舗。

    そういったお店は、当たり前のように3世代の家族が来店されていますので、こういう店舗にあこがれを持っています。自分の店舗も開業から13年ほど経ちますので、オープン当初から来店されていたお客様が結婚されたり、子供が高校生になったり、高校生が成人され来店されるのがとても嬉しく、子供の頃だけではなく、大人になっても来店され、食べてもらえるのがやりがいになっています。

    開業する方へのメッセージとしては、どうせ開業するなら勢いよくやった方が良いと思います。自分がそうだったのですが、開業される方は若い方もたくさんいらっしゃるかと思うので、今の時代の風潮などをうまく取り入れチャレンジしてほしいですね。今の時代をうまく使った営業方法などは見てみたいし、それを勉強させてもらいたいし、それが見られるのが楽しみでしかないです。

    今回、「麺壁九年」の石岡さんから紹介してもらいましたが、彼も勢いをもって営業をされている。ずっと、考えていて頭でっかちになってしまうよりは、勢いでやって開業した後に失敗したら反省すればいいと思います。やらずに後悔するよりは、やって後悔した方が悔いは残らないかと。

    また、自分もそうですが、誰かに背中を押してもらった方が助かるタイプ。実際に後押しをいただいた先輩は、高田馬場でラーメン店を開業後、閉められましたが東京・石神井の「辛辛魚」が人気の「麺処井の庄」でやられていますので、一度失敗してもまたチャンスはやってきます。このように、自分の周囲には、成功者の方や、開業後お店を閉められた方もいますが、みんな「やってから考えればよくない?」という方ばかりでしたので、皆さんも積極的にチャレンジしてください。

    自分も今振り返り、見つめ直すと様々な苦労は過去のことで、今が幸せだなと感じています。前向きに取り組めば、結果はついてくると思います!自分に常に言い聞かせていますよ!!

    とめ

    東京・阿佐ヶ谷にある創業75年の「阿佐谷ホープ軒」「ホープ軒本舗」の製麺所で7年の修行を積んだ後、自分が生まれ育った「荻窪」に開業された久保田さん。「ラーメン久保田」のメニューは、最近のラーメン店には珍しく、中華そばとチャーシューメン、そして定番のトッピング類とライスのみ。ラーメン激戦区「荻窪」で生まれ育ち 「阿佐谷ホープ軒」への思いと、店主のこだわりが詰まった一杯が誕生するまでのこだわりを強く感じました。

    また、「前向きな姿勢と今が幸せ。」というお言葉は、チャレンジをした後には、必ず幸せが待っているという、これから開業を検討されている方には深く刺さるものではないでしょうか?

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    #取材協力
    店名:ラーメン久保田
    店主:久保田雄氏
    住所:東京都杉並区上荻1-4-3
    TEL:03-3398-8357

  • 【ラーメン店・味噌ラーメン 雪ぐに】「新潟に対して、何かしらの恩返しをしていきたい。」郷土愛が紡いだ成功秘話とは?

    【ラーメン店・味噌ラーメン 雪ぐに】「新潟に対して、何かしらの恩返しをしていきたい。」郷土愛が紡いだ成功秘話とは?

    横浜市営地下鉄ブルーライン中田駅から徒歩5分の立地にある、ラーメン店『味噌ラーメン 雪ぐに』。
    2015年にオープンして以来、確かな味が評価され、2017年にはラーメン業界最高権威「TRY」で新人優秀賞を受賞。
    また、ラーメン界隈では超有名なYouTuber、SUSURUさんが選ぶ「2021年 SUSURU Ramen of the Year味噌部門」で「新潟妙高味噌ラーメン」が 選出されました。

    店主は、新潟上越妙高にある味噌ラーメンの名店『食堂ミサ』で修業を積んだ柴田雅大(まさひろ)さん。生まれの地である新潟で修行され、ここまで来るには一筋縄ではいかない数多くの苦労があったのです。

    開業までの経緯

    ラーメン店開業を目指すまで

    幼いころから飲食店のオーナーになることを目指していたわけではなかった柴田さん。
    なんと学生を卒業してから働いたのは”旅行会社”でした。21歳から26歳までの5年間、法人営業を
    していました。

    旅行会社に就職した理由は、「誰かを喜ばせたり、楽しませたりすることを考えるのが好きな性格だから」。
    法人営業という仕事を通して、様々な会社の人たちと出会いました。
    特に中小企業の経営者の方々と毎日何人も会っていく中で、
    「僕自身も、いつか何かしらの事業を起こしたい」
    という思いが芽生えました。

    当時は旅行会社での成績も良く、トップセールスを2年守ることができたそうです。
    「そろそろかな」と思い始めた25歳の頃、次にやりたいことについて考えました。

    どのような仕事をしようか考えた時、すぐに浮かんだのは、故郷である”新潟県”のことでした。

    新潟県生まれ神奈川県育ち。新潟県のことがとても大好きで、郷土愛が強いという柴田さんは、新潟に関わる・携わる仕事、新潟をキーワードにした何かしらの仕事に就きたいと考えます。
    そして行きついたのが、好きだった”ラーメン”と”新潟”に関する仕事。
    「新潟の一番好きなラーメンの味を勉強して、関東に広めること」でした。

    「ラーメン店をやりたい!」という目標があったわけではなく、
    故郷である”新潟県”に何かしら関わる仕事がしたいという思いから始まった、ラーメン店開業の道でした。

    『食堂ミサ』での修行

    目標が決まればすぐに行動開始。
    新潟県の有名ラーメン店『食堂ミサ』で修業を始めました。
    ですが、修行は簡単に始められたわけではありませんでした。

    そもそも、当時の『食堂ミサ』の店主は「レシピを広める気はない」と語っていました。
    その言葉の背景には、男性社員を雇うと、すぐに味を盗んで辞めていってしまうという現実がありました。
    そのため、スタッフの募集をしているか確認の電話をかけても、「独立希望は」という理由ですぐに断られてしまったそうです。

    しかし、柴田さんは決して諦めませんでした。
    何度も電話をかけては断られ続ける中で、「お願いだから、断る理由で会ってください」と伝えます。すると、「そんなに言うなら…」とやっと会うことを許されました。

    やっと掴んだチャンスを逃すまいと、承諾を得てすぐ旅行会社に辞表を出し、新潟へ向かいました。

    仕事を辞め、何もない状態でお店まで足を運びましたが、「お金もいらないので」と言い、本気度を伝えたといいます。その様子を見た『食堂ミサ』の店主は、「熱意に負けた」と柴田さんの入社を許可しました。

    やはり弟子入りするには、覚悟が伝わらないとなかなか難しいということを身に染みて感じることができた経験でした。

    縁が導いた開業までの道

    念願であった『食堂ミサ』での修業が始まったものの、当初は「レシピだけ覚えたら辞め、1年ほどで神奈川に戻ろう」と考えていました。
    しかし、修行をしていく中において新潟で学びたいことがどんどん増えていき、気が付けば約3年が経っていました。

    スタッフも定着し、各々の技術も安定してきた頃、「20代のうちにお店を開きたい」と考えていた柴田さんは、ついに動き出します。

    28歳で円満退社の末、元々住んでいた神奈川県へ戻りました。
    戻ってしばらくは、昼はラーメン店、夜はバーのウェイターでアルバイトをしながら開業資金を貯める生活。忙しい日々の中でも、物件を毎日探すなどして、着々と開業へ準備を進めていました。

    開業の準備が整い、2015年に念願の初出店を果たしました。
    出店場所は、横浜市にある”中田”。
    当時戸塚に住んでいたため、自宅からそこまで離れておらず、開業後に家族や友だちに支援してもらいやすいという理由から、戸塚に近い中田で、中華料理店の居抜き物件に出店を決めたそうです。

    また上記の理由の他に、中田に出店した一番の決め手があったといいます。
    それは、居抜き物件を経営していた方が、新潟の上越出身 ということでした。

    ちなみに、柴田さんが修行をした『食堂ミサ』の社長の苗字が「中田さん」なのだそう…!
    いくつか物件を見ていた中でも、これらの偶然に縁を感じ、出店場所を決定しました。

    開業までの細かい準備の部分は、現在戸塚にある『自家製麺カミカゼ』(旧『中華そば 尋』)の店主、大山さんに助けてもらいました。
    業界についてのアドバイス、物件探し、自家製麺の製麺方法や仕入先の紹介まで、開業するにあたって、大山さんに一番お世話になったといいます。

    お店を開業する際、横のつながりがないと分からないことを解消しにくいため、
    同じ業界の方との関係性を築いておくことが大切だと感じました。

    「味噌ラーメン 雪ぐに」一番人気の看板メニュー「味噌ラーメン」950円(税込)

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    「有名店である『食堂ミサ』のラーメンが関東に進出する」ということで、オープン時はメディアで話題になりました。
    オープンすると、関東在住の『食堂ミサ』を知っている方が続々と来店。1ヵ月はお客様が途絶えませんでした。

    しかし、数ヵ月経つと客数は激減する事態に。
    今でこそ、1日約200人来店していただけるお店になれたものの、来客数が減った当時は、昼営業・夜営業含めて1日で20人以下も来ないという状況でした。
    特に、気温の高い夏場の売上が悪かったといいます。

    この事態に危機を感じ、「なぜここまで客数が落ちてしまったのだろう」と考えました。
    自分なりに分析をしていく中で、ラーメンの味の質がまだまだ未熟だったというのはもちろんのこと、それ以上に、「新潟出身のお客様は味を懐かしんではくれるものの、”普段使い”をしてくれない」という点が気になりました。

    そもそも中田は昼間人口がとても少なく、大きな商業施設もない地域。有名な駅の近くでご当地ラーメンをやるのとは全く状況が違います。
    「このままではダメだ」と感じた柴田さんは、”首都圏に合わせた味づくり”をするのではなく、”地元に根付いた店舗を目指す”ことを決めました。以降、徐々にラーメンを研究していきます。

    ラーメンの味を変えていくだけでなく、「お客さんの顔を徹底的に覚える」ことや、お店にお客様が1人もいない時は、「外に出て店前を通る人全員に挨拶する」など、人とのコミュニケーションに重きを置きました。
    お友達にご協力いただき、中田駅の交差点で”ビラ配り”も実施。その甲斐あって、「何か頑張っている人たちがいる」と応援がてらご来店いただくお客様が増えていきました。

    また、当時同時進行でラジオに出演したり、ラーメン雑誌に掲載されたりする機会があり、ジワジワと名が知られていったといいます。
    これにより客足を取り戻し、常連の方をどんどん増やすことができました。
    中田といった小規模な駅だったからこそ、柴田さん含むスタッフの方々の頑張りが周囲の人に伝わったのでしょう。
    今では毎日来店してくださるお客様もおり、多い人では1日3回食べに来てくれる人もいるそうです。

    『雪ぐに』では、ラーメンだけでなく、新潟県産の日本酒も提供していました。
    そのため、夜はおつまみメニューがないものの、飲み屋として地元の1つのコミュニティのような場所となっていました
    ちなみに、おつまみの代わりに提供していたのは野沢菜や味玉、メンマなど。ラーメンのトッピングだけで楽しんでもらえていたそうです。

    このように、様々なアプローチによって売上を伸ばすことに成功。”ほぼ8割のお客様が常連の方”というようなお店に育っていきました。
    お店の成長を通し、改めて「地元に根付き地域に密着した店舗」の面白さを知ることができました。

    開業してみてはじめてわかったこと

    「想像力」の大切さ

    開業にあたりお店を決める際、”最悪1人で回せる店舗”を探していましたが、実際にやってみてわかったことは『大は小を兼ねる』ということでした。

    例えば製麺機。1人でお店を回すことを考えたら、そこまで大きくなく、値段も張らない小さめのサイズの購入を検討しがちです。しかし、大きいサイズの方が出来ることの選択肢が広がり、作れるものの幅も広がるため、逆に効率が良くなります。

    また、冷蔵庫に関しても同じことが言えます。当初購入した冷蔵庫のサイズが小さかったため、お店が繁盛するにつれ、もやしの収納スペースがなくなってしまいました。さらに、新潟から味噌を直送で仕入れていることを売りにしていたにもかかわらず、その味噌を収納するスペースがなくなってしまったこともありました。

    これらの経験を通し、厨房機器を購入する際は「想像よりもワンサイズ大き目」なものを買った方が良いということを学びました。当時を振り返り、お店が忙しくなり、在庫を抱えてしまうところまできちんと考え、店舗の準備をしておくべきだったと反省しているとのこと。


    また、駐車場に関しても気が付いたことがありました。
    当初『雪ぐに』には駐車場がありませんでした。その理由は、「美味しいラーメンを作れば、お客様は公共交通機関を利用してでも訪れてくれるだろう」という考えがあったから。

    しかし、この考えはどこでも通用するわけではなく、場所によるものだと後々気付くことになります。特に中田駅はブルーラインしか通っておらず、他に用事があって乗車する方は少ないイメージ。車で来店される方が圧倒的に多かったといいます。
    その結果、路上駐車が増えてしまい、近所の方々からお叱りを受けてしまいました。これに関しても、「想像力が足りなかった」と反省しています。
    2021年に同じ中田で、これまでの店舗の3~4倍の大きさ、駐車場付きの店舗に移転をし、何とか解決にいたりました。


    開業してからわかったことは、
    「美味しいラーメンをどうやって作っていこうか」という想像よりも
    「繁盛した時のこと」を想像していた方が良い
    ということでした。

    お店が繁盛することは喜ばしいことですが、お客様が増えることによって出てくる弊害は必ずあります。その時の対応を間違えてしまうと、せっかく手に入れたお客様を手放してしまうといった最悪な事態にもなりかねません。

    居抜き物件について

    また中田に出店後、商店会にも加入しました。
    さまざまな飲食店の方と仲良くなっていく中で、店舗の移転を相談していたといいます。
    すると、新型コロナウイルスが流行した際、中華料理をやられていたマスターの方が、高齢やコロナの流行を理由に閉店を考えているとの情報が入りました。

    共通の友人が繋げてくれたことで、前店舗のマスターの方と直接契約を結ぶことができたそう。不動産を介さない契約となり、手数料がかからずコスト削減に繋がりました。

    居抜き物件に関して、漏水などの不備はやはりあったとのこと。そのため、居抜きを選ぶ際には余裕を持って考えることが大切だといいます。
    また、最大人数を収容した時の想定も必要です。物件を見ているときと、最大人数を収容した時の店内の温度にはとても差が生まれてしまいます。そのため、満席時を想定した空調設備の設置が大切になります。
    『雪ぐに』では、室内の待合室を設けていますが、お客様が最大人数入ってしまった際にとても気温が上がってしまったため、エアコンを買い替えた経験があるそうです。

    何でも「大きめに想定しておくこと」が、開業後に後悔しない秘訣であるといいます。

    テンポスとのかかわり

    普段は戸塚店を利用しているとのこと。開業時の厨房機器もすべてここで揃えました。
    しかし設置まではテンポスを利用せず、安い業者に頼んで失敗…。設置までテンポスに頼めばよかったと後悔しています。

    来店の頻度は週に一度ほど。前を通ったら立ち寄るそうです。
    担当の方とももう8年の仲だそうで、来店すると気さくに話しかけてくれるといいます。そこで、(言える範囲の)横の業界の話なども教えてもらえ、情報収集ができるのだとか。

    このように、気軽にコミュニケーションをとれる、”人が良い”という点がテンポスの魅力だと感じるそうです。

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    今後の展望

    今後に関しては、「〇年以内に〇店舗展開しよう」「ECを立ち上げよう」などの計画は立てていません。
    店舗を移転して2年目、このお店でまだまだやりたいこと、やれていないことがたくさんあります。それらをスタッフ全員で、「一丸となって今できることをやっていこう」というのが共通の目標としてあります。

    「ほぼ家族経営みたいなもの」だというスタッフの方々一同

    現在在籍しているスタッフのうち、3人が何と元お客様なのだそう。自然と『雪ぐに』というお店に愛着を持った人が集まっているといいます。
    今学生のスタッフが、後々『雪ぐに』での就職を希望しているという話も出ているため、スタッフが充分に育った後、ゆくゆくは店舗展開をしていけたらといった具合で、全く強制はしていないとのことです。今は「楽しくやっていきましょう」という気持ちです。

    また、多店舗展開するようなレベルにはまだ達していないという考えもありました。

    開業する方へのメッセージ

    柴田さんは、休みが週に一度しかなかったり、労働時間が長かったりときつく大変な仕事ですが、楽しくやれているといいます。
    それは、「新潟に対して、何かしらの恩返しをしていきたい」という揺るがない軸があったから。

    頑張れる原動力が、ただお金を儲けたい人とは違います。そのため、働いているという感覚があまりなく、”自分にしか出来ないことをやっている”という使命感の方が強いのです。

    実際にお店を初めてみると、簡単に儲かるものではないことがわかりました。素材にこだわり、従業員を抱えたら、どんどんコストはかかっていきます。

    その職を通して自分は何をしたいのか、どんな影響を誰に与えたいのか、何がしたいのかという部分を明確に持つことで、強く経営していけるのだといいます。

    まとめ

    郷土愛から生まれたラーメン屋『味噌ラーメン 雪ぐに』は地域に深く根付き、今や多くの人の「地元の味」として親しまれています。
    ここまでお店が成長したのは、研究に研究を重ねた”ラーメンの味”はもちろんのこと、
    「誰かを楽しませたり、喜ばせたりするのが好き」という店主の柴田さんのお人柄が大きく影響していると感じました。

    ”新潟への恩返し”といったぶれない軸をもちながらお店を続ける姿勢は、今後開業を考えている方だけでなく、現在お店をやられている方にとっても、良い刺激になったのではないでしょうか。

    強い信念を持っていれば、様々な苦労や困難を乗り越えていけるのかもしれません。


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    #取材協力
    店名:味噌ラーメン雪ぐに
    店主:柴田雅大
    住所:横浜市泉区中田東2-6-13
    TEL:045-410-6988

  • 【ラーメン店・中華そば 麺壁九年】「開業=スタートでゴールじゃない。」良い意見は「すぐに取り込め」、悪い意見は「即改善」と語る店主が東京・新宿にある「らぁ麺はやし田」から独立後の成功秘話とは?

    【ラーメン店・中華そば 麺壁九年】「開業=スタートでゴールじゃない。」良い意見は「すぐに取り込め」、悪い意見は「即改善」と語る店主が東京・新宿にある「らぁ麺はやし田」から独立後の成功秘話とは?

    西武新宿線井荻駅から徒歩2分の立地にあるラーメン店「中華そば 麺壁九年」。2020年にオープンして以来、すぐに2020年上半期(1月〜6月)の都内新店ランキングでラーメンデータベースの得点10位以内に入る実力店になりました。店主は、東京・新宿にある「らぁ麺はやし田」で5年、その他店舗も含め9年の修行を積んだ石岡文仁(ふみひと)さん。「ブランド鶏と野菜」「数種類の節とアゴ煮干し」それぞれの素材から長時間かけて抽出した2種類のスープを合わせたWスープの中華そばと、季節により産地を厳選した数種類の煮干しを使用したいりこそば。上品な味わいの中に素材の個性をしっかり感じられる二種類の看板メニューが人気となっていますが、ここまで来るには一筋縄ではいかない数多くの苦労があったのです。

    開業までの経緯

    東京・井草の出身で、ラーメンの人気エリアなので幼少期から父親に、中華そばの名店「春木屋」「丸福」「丸信」に連れて行ってもらっていました。また、地元に「御天(ごてん)」というとんこつラーメンの名店があり、好きで10代の頃から通っていました。そういったラーメンに対する親近感や、飲食店でのアルバイト経験が多く、料理にも興味があったことから、28歳で「自分のラーメン屋を持ちたい」という気持ちが生まれました。そのため、30歳前にはラーメン業界に入り、35歳までには独立したいという人生プランを考え、28歳でラーメン業界に入りました。新宿の「麺匠 竹虎」で約3年、別のラーメン店で数年、そして「らぁ麺はやし田」で5年修行をしました。

    株式会社INGSが展開するラーメンブランド「煮干中華そば 鈴蘭」に社員として入社し、その後店長を務め、新ブランド「らぁ麺はやし田」を立ち上げる際の店長を任され、立ち上げから拡大、さらに数店の別店舗立ち上げを経験し、最終的にはマネージャーをやらせていただきました。

    開業のきっかけは、「らぁ麺はやし田」の新店舗立ち上げ経験を生かして、「自分の力で出来るな。」と見極めたから。味づくり・店舗の運営に関して勉強させてもらったので、このタイミングで決めた感じです。

    そして、2020年3月10日にラーメン業界に入って9年目の37歳で、西武新宿線井荻駅から徒歩2分の場所に「中華そば 麺壁九年」をオープン。新店ながら「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「中華そば 麺壁九年」一番人気の看板メニュー「特製中華そば」 1,300円(税込)※トッピングは、レアチャーシュー、味玉、ネギ、三つ葉、ワンタン、穂先メンマ。

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    2020年3月10日にオープンしましたが、翌月の4月にコロナの緊急事態宣言が発令。物件を契約したのが、2020年1月で、その頃はまだコロナに関しては、出始めでそれほど騒がれていなかったので、何の心配もせず「地元でいい物件が見つかった。」と喜び、開店まで楽しみや不安と毎日葛藤しながら準備をしていました。

    しかし、日が経つごとにどんどんコロナに関して状況が悪化し、良くない方向に向かっているなと実感しているなかでいざオープン。オープン直後は、同業のラーメン屋の店主の方や、出店した地元の友人たちが来店しサポートしてくれたのでおかげさまで順調でしたが、一般のお客様は、通常だったら電車に乗って来店することが多いので、緊急事態宣言が発令された頃は、そういった方々の来店が減り影響を受けました。その後は、コロナ禍のなかで、外出される方とされない方の二極化がはっきりしアップダウンがありましたが、しっかり対策をされて来店いただいたお客様には感謝しかないですね。

    また、2020年4月の緊急事態宣言発令後の2~3ヶ月後には「テイクアウト」を開始。これで売上をカバーできたところが大きく助かりました。早い段階で動き始めたのが結果的には良かったと思います。

    失敗したことは、2020年12月。厨房内の漏水が発生し、地下にも水漏れするほど。お店を3週間ほど休むことになり、階下のテナント店舗への補償やスタッフへの給与面の補償が必要で、その期間は収入がなくなっても支出が多かったです。実際に「居抜き」で契約し、築年数も45年ほどだったのでリスクはあったかもしれませんが、契約時は勉強不足もあり、水回りの状況確認まで気が回っていなかったですね。「居抜き」の物件は実際に入ってみないと分からない事の方が多いので、この点は意識しておいた方がいいかと思いますよ。こんな失敗はありましたが、テナントの大家さんがとても良い方で、様々な面を考慮いただき本当に助かりました。

    このコロナ禍のなかで、乗り越えられたのは、スタッフが辞めずに残ってくれたことで、本当にありがたかったですね。アルバイトスタッフさんも含め1人も辞めなかった。無事に漏水の工事も終えて営業再開時には、みんなが揃っていたのですぐに再スタートできました。スタッフがいてくれるから自分もお店を運営出来ています。自分でいうのもあれですが、スタッフへの感謝の気持ちはだれにも負けない自信がありますよ(笑)。

    こんな状況だと、人件費を削る飲食店が大半かと思いますが、そうするとスタッフが離れてしまう。コロナ禍が過ぎ通常営業を開始する際に、人手不足で体制が整わないことも多いと聞きます。しかし、この部分に関しては人件費を削らず、うまくシフトを組んで営業をしていましたので、通常営業に戻った際も影響がなかったので、スタッフには感謝しかないですね。この場を借りて声を大にして言っておきたいです。

    カウンター7席・テーブル2名席2卓のため、行列が絶えない日が続いています。

    開業してみてはじめてわかったこと

    開業した場所の最寄り駅が西武新宿線井荻駅なのですが、なかなか人が少ないエリアなんです。都心からも少し離れているので、こういった状況でどう集客をしていくべきかは大きな悩みで、「味づくり・見せ方・広告」に関しての悩みは尽きないです。

    こういった環境なので、出来ることと言えば簡単な事ですがSNSで毎日・毎朝発信をし続け、例えば、来店されたお客様が撮影しアップされている画像を、お借りし使用するために、コメントしコンタクトを取ことでつながりを持つことが出来ました。また、感謝の気持ちを込めてDM(ダイレクトメッセージ)を送ることは毎日サーチをして対応し、コメントも必ず返させてもらっています。

    こういったこともあってかは分かりませんが、少しずつ来店される方の数・頻度が増え始め、良い方向に進んでいるかなと思います。

    今は、2号店として、西武新宿駅上井草駅からすぐの場所に2022年6月23日「麺や 麟子鳳雛」を開店させましたが、これまでの取組みは継続し、良い意見も悪い意見も全てチェックしています。悪い意見は一見見ないようにしたくなりますが、そこに改善のヒントが隠されていると良い方にとらえています。ですので、スタッフたちにも悪い意見はすぐに改善につなげるよう共有しています。

    良い意見は「すぐに取り込め」、悪い意見は「即改善」と口うるさく、店長会議やスタッフミーティングで言っていますよ。

    「ブランド鶏と野菜」「数種類の節とアゴ煮干し」それぞれの素材から長時間かけて抽出した2種類のスープを合わせたWスープ。

    東京・新宿にある「はやし田」で5年、その他店舗も含め9年の修行を積んだ後、2020年に「中華そば 麺壁九年」を開業。店名の「麺壁九年」は「面壁九年」のアレンジ四字熟語からで、意味は『一つのことに忍耐強く専念して、やり遂げることのたとえ』だそうです。

    テンポスとのかかわり

    初めてテンポスさんを知ったのは、株式会社INGSが展開するラーメンブランド「煮干中華そば 鈴蘭」に社員として入社し、新ブランド「らぁ麺はやし田」を立ち上げる際でした。

    店舗の中心が新宿エリアだったので、休み時間に歩いて行ける距離に新宿店があって、良く買い出しに行っていました。

    今となっては、それがきっかけで必要なものが出てきた際には新宿店に行って購入しています。「中華そば 麺壁九年」開業時は「居抜き」だったので、厨房機器は間に合っていましたが、調理機器は全てテンポスさんで揃えましたよ。

    ここで購入する決め手は、店舗からのアクセスの良さ(新宿店)と品揃え・広さもプラスの要素ですね。特に「中華そば 麺壁九年」開業時は初期費用を抑えたかったので、新品より割安な中古を探していたので、中古の品数が多かったのには助かりました。もし、厨房機器が故障した際には、新宿店に相談をする予定ですよ!

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    今は、「中華そば 麺壁九年」「麺や 麟子鳳雛」に続き3店舗目の開業を目指していますが、それはスタッフがいてくれるから考えられるし出来ること。「人」という部分を大事に考えてもらいたいですね。

    多店舗展開していなくても、優秀なスタッフが独立したり、辞めたりして店主一人で切り盛りしている店舗の話もよく聞きますので、多店舗展開が良いのか良くないのかは一概には言えないですね。

    ただ、自分が一人になっても働いてくれるスタッフがいないと成り立たないと思いますので、やっぱり「人」は大事です。

    最後、開業する方へのメッセージとしては、「運転資金は予定より多めに準備をしておいた方が良い」ということ。開業するには「絶対に成功してやる。」という野望が強くないと成功しない。「なんとなく自分のラーメンはこれくらいだったら出来るだろう。」といった安易な考えでは絶対に失敗すると思います。

    また、「学ぶ力」も大切。常にいろいろ調べたり探求心を持って取り組んだりしていかないと成長しません。「開業=スタート」なのでそこからどう成功していくかは、自分の考えと行動次第です。

    「失敗を経験しないと成功はない」ので色々なチャレンジをしてほしいです。実際にやってみないと分からないことだらけなので。やってみたらいい方向に繋がることもあれば、逆にやってみて違う成功パターンが見つかることもあります。何事もチャレンジ!怖がらずにやっていきましょう!!

    とめ

    「中華そば 麺壁九年」「麺や 麟子鳳雛」に続き3店舗目の開業を目指しているとのことでしたが、それはスタッフがいてくれるから考えられるし出来ること。「人」という部分を大事に考えてもらいたいという言葉が印象的でした。

    「コロナ禍のなかでもスタッフが辞めずに残ってくれたことで、本当にありがたかったですね。」とのことですが、人件費を削る飲食店が大半のなか、人件費を削らず、うまくシフトを組んで営業を続けるには相当の覚悟がないと出来ないことです。これによって、コロナ禍が過ぎ通常営業を開始する際に、人手不足で体制が整わないこともなかったそうで、一貫して「人」という部分を大事にされている姿に頭が下がりました。

    『開業するには「絶対に成功してやる。」という野望が強くないと成功しない。「なんとなく自分のラーメンはこれくらいだったら出来るだろう。」といった安易な考えでは絶対に失敗すると思います。』という石岡さんの信念は、今後開業される方の心には大きく刺さるお言葉ではないでしょうか?

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    店名:中華そば 麺壁九年
    店主:石岡文仁氏
    住所:東京都杉並区上井草1-24-22 小山ビル 1F
    TEL:なし

  • 【ラーメン店・YOKOHAMA中華そば かみ山】妻と「二人三脚」で「ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指したい。」様々な試練を乗り越えて「町中華」と「ラーメン専門店」のハイブリッドを実現させた成功秘話とは?

    【ラーメン店・YOKOHAMA中華そば かみ山】妻と「二人三脚」で「ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指したい。」様々な試練を乗り越えて「町中華」と「ラーメン専門店」のハイブリッドを実現させた成功秘話とは?

    小田急小田原線 経堂駅から徒歩4分の立地にある、ラーメン店「YOKOHAMA中華そば かみ山」。2017年にオープンして以来、店主実家の町中華と、修行した有名老舗ラーメン専門店で学んだ経験を生かした数多くのメニューから、超人気ラーメンYouTuberが2度来店するなど実力店となりました。店主は、老舗ラーメン店で7年修業を積んだ神山潤(じゅん)さん。開業後、口コミやSNSで広まりあっという間に人気店となりましたが、ここまで来るには一筋縄ではいかない数多くの苦労があったのです。

    開業までの経緯

    男ばかり3兄弟の末っ子で、小さいころから学生時代まで両親が東京・品川区大崎で営む中華料理店を手伝っていました。残念ながら16歳の時、父がくも膜下出血で急に他界。服部栄養専門学校卒業後、21歳で実家を継ぎ、母とともに出前もやるような、いわゆる「町中華」として頑張ってきましたが、建物の老巧化で立ち退きをすることになりました。

    ずっと実家で働くというよりも、一度しっかりとした修行をしなければと漠然と考えていました。また、当時「第2次ラーメンブーム」で「武蔵・くじら軒・青葉」などが一気に流行り新規の行列店が出来た頃でした。そういうのもあり「自分もラーメン屋を目指したい。」という気持ちが高まり、立ち退き後の31歳で老舗ラーメン店に就職し修業。本店で1年、そのお店が出店されていた横浜で7年間勤務をし、店長も経験しました。その複合施設で同い年だった「三ん寅」の菅原さんと出会い志も同じで意気投合。

    その後、身内の紹介でうどんのフランチャイズ店で社員として4年働いた後、妻と妻の両親が背中を押してくれたこともあり、「あなたが本当にやりたいと思うのならやってみたら。」という声をもらい、臆病で二の足を踏んでいた自分の気持ちを払拭することが出来ました。

    そして、2017年9月13日に小田急小田原線 経堂駅から徒歩4分の立地にオープン。新店ながら「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「YOKOHAMA中華そば かみ山」一番人気の看板メニュー「サンマーメン (トッピングあり)」1,100円(税込)

    超人気ラーメンYouTuberが来店されて紹介された「肉ニラスタミナメン」1,000円(税込)紹介後、注文されるメニューがほとんどこちらになったそうです。

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    物件探しは本当に苦労し大変でした。個人で小さなキャパシティのラーメン屋を開業しようと思っても、なかなかいい物件が出てこない。たまたま良い物件があったとしても、どうしても大手の法人には負けてしまいます。飛び込みで不動産屋さんに入っても、時には相手にしてもらえないことも。「ここでやりたい」と思ってもなかなか実現させるのは難しいです。

    何十件も不動産屋さんを回り、たまたま飛び込んだところから紹介をもらい、縁があって今の経堂の地に開業することが出来ましたが、これからどうなっていくかも分からないので、初期投資も大きくかけられない。スケルトンの状態から立ち上げると莫大な費用がかかります。もともとあった居酒屋を「居抜き」の状態で契約し、ラーメンの機器は新しく導入したものばかりです。

    使えたのは製氷機と冷蔵庫一台、トイレのみで、カウンターも作り直しましたし、冷蔵庫、冷凍庫も買い足しました。使える機材・商材は極力使うようにしコストを抑えようと思うと、そのような物件を見つけるのは至難の業でした。

    普段、経堂という場所に来ることはなかったので、全くイメージは沸きませんでしたが、駅の乗降客が多く人の流れも多い。駅から徒歩4分の場所だったので、自信というよりも「ここだったらお店に人が流れてくるんじゃないか。」という期待値の方が大きかったです。

    最終的には、いくら自分の味に自信があっても、場所選びを妥協してしまうと、うまくいかないと思います。

    失敗したことと言えば、大きなものはありませんが、実際に毎日小さな失敗をしながら覚えていくことが多く、この繰り返しです。「何をもって失敗というのか。」と改めて考えると、開業時に出来るだけ必要なものは揃えておいた方が良いということですかね。5年半やってみたからこそ見えてくる営業スタイルがあり、例えば、洗浄機や券売機。私たちは夫婦2人で営業していますが、最初はない状態で始めましたが、調理や接客をしながらの、洗い物やお金のやり取りはかなりしんどいです。少ない人数での営業をする場合は、最初からの導入を強くお勧めします。

    自分の場合は、妻が自営をしていたこともあり、開業前に支えてもらった部分が非常に大きかったですが、開業を考えている方は、何かしらの「力添え」がないとやっていけないと思います。

    開業を決めてから実際に開業するまでに半年、長い場合は1年以上かかる場合もあると思いますが、その時に副収入があれば心に余裕があるかもしれませんが、個人で開業される場合は、開業するまで無職の方も多いはず。自分は開業を決めた後、体調を崩し入院する事がありました。妻には本当に苦労を掛けましたが、その際の「力添え」があったからこそ今があり、感謝してもしきれないくらい感謝しています。この記事が「感謝状」になるかな?(笑)

    本当に周りの人の支えがないと無理。精神論だけではやっていけない。ここはぜひ念頭に置いておいてもらいたいですね。

    また、じぶんは開業までは雇われている立場でしたが、新しい社員・スタッフが入ってきた場合、一生懸命に戦力になるように教えて育てて、仕事後も飲みに行って相談に乗るなどしてきて、もう少しで一人前となる頃に、残念ながら辞めてしまうことが多い。期待していたのに辞められると寂しく残念で仕方がなく、人を雇ってこういう思いをするなら、家族経営がいいなと思っています。まさに妻と「二人三脚」で、様々な試練を乗り越えて来たかなと思います。

    カウンター6席のため、週末は行列になることも。

    たくさんありますが、初めはお店を出すことで正直精一杯。開業が目標だったので、忙しい日もあれば暇な日もある感じで。「これからどうなるかな。」という不安もありました。

    徐々にお客様が付いてくるようになりましたが、最初は洗浄機・券売機もない状態だったので、器など手洗いで行っていました。また、オーダーミスなどのトラブルも起きた際に、すごく時間が取られました。現金のやり取りも意外と大変です。昼は妻と2人でしたが、夜は私だけで営業(今は昼営業のみ)だったので、ラーメンを作りながらお客様の対応はとにかく大変でした。

    こういうこともあり、洗浄機を導入し、更に券売機も導入。お店がすごく狭いので設置スペースをなんとか確保しました。この2つは導入しないとお店が回らないですね。今振り返ると、洗浄機・券売機がない状況は考えらえないです。よく洗浄機・券売機がない状態でやっていたなと思いますし、よく当時の事を話しています。開業してみないと分からない事でしたが、はじめてわかったことですね。

    今のいちばんの働き手は、「洗浄機様」・「券売機様」です。(笑)

    オーダーミスに関して、券売機だと、お客様が購入された商品名が印字されるので、トラブル時にお客様の勘違いかどうかはすぐ分かりますが、口頭でのやり取りだと、こちらの聞き間違いかもしれないので、謝るしかないですから。

    また、「手洗いの無駄」も実感しました。最初は導入スペースもなかったので何とかやっていけるかと思いましたが、省スペースでも設置できる新商品を見つけ、洗浄機の扉を開けると1cmくらいしかない状態ですが大活躍です。

    当初は、自分だけでの営業を予定していたのでカウンター7席。ただ、きつくなってきたので妻の力も借りることにしました。「券売機」を設置するとお客様が食券を買っている際に、食べ終わって帰ろうとする人の道をふさいでしまうので、その際は「ごめんなさい。」と伝えてご理解をいただいています。お互いに譲りながらご対応をいただいているので、本当に良いお客様ばかりで良い人間臭さが日々見られて微笑ましいくらいです。

    コロナ禍になり、夜営業を辞めましたが、逆に昼しかやっていないということで昼間に集中的に来店いただけるようになり、長い時間営業すればいいというわけでもないことを実感。コロナがいいきっかけでした。

    今では、夕方に営業が終わり、夜は妻・娘との時間を過ごせるようになりました。娘がもう少し大きくなれば、夜営業の再開もあるかもしれませんが、中学に入るくらいまではこのスタイルを続けたいですね。

    飲食をやられているご家庭は、皆さんお忙しく家族のすれ違いが多いと思います。妻からも「土曜か日曜は休みにしてほしい。」と言われていましたから。今は主に日曜が休み。日曜休みは飲食店にとって稼ぎ時を失い痛手と言えますが、5年半このスタイルでやれていますので、本当に「お客様に感謝」です。

    こだわりは、「丸鶏ベースのコラーゲンたっぷり秘伝スープ」「豚肉とシャキっと炒めたたっぷり野菜の旨味」「浅草開化楼特製のもっちり平打ち中太麺」だそうです。

    老舗ラーメン店に就職し修業。本店で1年、そのお店が出店されていた横浜で7年間勤務をした後、うどんのフランチャイズ店で社員として4年働き、2017年に「YOKOHAMA中華そば かみ山」を開業。屋号の「YOKOHAMA」は特に横浜とは所縁はないものの、メニューに神奈川のご当地ラーメン「サンマーメン」があることや、横浜=中華・中華街のイメージで伝わりやすいことが由来。店名内の「中華そば」も中華そばを提供する予定はないが、単純に麺類もやっていますの意を込めて。』だそうです。

    テンポスとのかかわり

    開業時に丼・小鉢・レードル・中華鍋・寸胴など、調理道具一式を新宿店で購入させていただきました。

    寸胴の大きいものは、妻の父が解体屋をやっているので、店舗の解体時に出たものを使っています。

    お客様からのリクエストで「大盛り」メニューを導入した際もその丼はテンポスさんで購入。テンポスさんの会員カードも持っています。テンポスさんで買ったものは丈夫なものが多く助かっています。1年に1回ほどの来店ですが、「かゆい時に手が届く。」お店として気に入っていますので、これからもお願いします。

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    今年で50歳になるので、今みたいに最前線で鍋を振り続けることも徐々にできなくなると思います。でもこの仕事が「天職」だと思っているので、細く長くではないですが、営業形態を状況によって変えていくかもしれません。「経営者」になると現場に出なくなる方も多いかと思いますが、自分は「現場主義」なので、現場で少しでもお客様と触れ合っていくことを大切にしていきたいです。

    鍋を振り続けることが大変になってくれば、メニュー数を絞ったり、いろいろな対応ができなくなったりすると思います。最終的に2~3種類でやるかもしれないです。

    何が一番大変かというと、中華鍋をあおり体に負担がかかることで、ラーメン屋をやっている方は共通で言えることですので、体のケアが大切ですので、しっかりしていかなければと思っています。

    また、現状に満足せずもっともっと美味しくなるように工夫し、味・サービスなどを追及していきます。現状に満足をすると、そこで止まってしまうと思いますし、大切な事です。「昨日より今日、今日より明日」と追及し続けないといけないと思っています。常に自分たちがブラッシュアップしていかないと駄目だと思っています。

    お客様から「変わらないね。」と言われるためには、「変わっていかなければいけない。」人の味覚はどんどん進歩していくので、同じ味を提供し続けると「まずくなった。味が落ちた。」と言われるので、気付かれない程度のマイナーチェンジを行い、一歩でも二歩でも先を行くような味作りをやっていかないと思っています。

    色々なところにヒントは落ちています。常にアンテナを伸ばして情報をキャッチし「細く長く」やっていきたいですね。

    自分たちは夫婦2人で経営していますが、時間が経つとお互いの考えが変わる場合もあります。自分の事だけを考えず、相手の生活パターンやメンタルの部分などを配慮していかないとやっていけなくなります。ましてや妻としてだけではなく仕事においても大事なパートナーですから。

    話は変わりますが、娘も料理が好きで、両親の姿を見ているからという理由もあるかと思います。料理の世界に入ってもらいたいというのではなく、料理を楽しんでやってもらいたいですね。自分が作ったラーメンを食べて喜んでいただいているお客様の顔を娘が見てくれれば響くものはあると思います。

    また、ここ最近YouTubeのような新しい媒体が流行っていて、私も超人気ラーメンYouTuberに2度紹介してもらいましたが、娘が学校で友達から「見たよ。」と言われると親としても冥利に尽きるというか嬉しくなりますね。

    ちなみに動画がアップされた次の日は、来店客の数がえげつない状態でした。注文されるメニューが後ほとんど紹介された「肉ニラスタミナメン」で、影響力の大きさを感じました。2回来店され紹介してもらったことはとても光栄です。

    正直、自分のお店よりも美味しいお店はたくさんあると思いますが、自分も妻も目指しているのが、「ナンバーワンではなくオンリーワン」。ここにしか来ないと食べられないというものを作っていきたいと思っています。流行りを求めると、みんなが食いつきますが、いずれすたれてしまい、また新たな流行りを求めて違うところにいってしまうと指針がブレてしまう。自分は、今後も雰囲気も味も「オンリーワン」を求めていきます。

    なぜ、自分が「タンメン」や「サンマーメン」を選んだかというと、「昔からあるもの」だから。何十年も前の「昭和の頃から中華料理屋に行くとあるメニュー。そういうものを磨き続けていきブラッシュアップをし「町中華」と「ラーメン専門店」のハイブリッドを目指していきます。

    自分は、たまたま実家が「町中華」で、修行先が「ラーメン専門店」、そこに「ラーメンのスペシャリスト」たる仲間が多かった。今思うと、全てにおいて恵まれていたのかもしれないですね。お客様はもちろん、妻や自分と妻の両親、「三ん寅」の菅原さんに感謝。これに尽きます。

    開業してからいろいろなことが絶対にありますので、自分の場合は、妻が自営をしていたこともあり、開業前に支えてもらった部分が非常に大きかったですが、開業を考えている方は、何かしらの「力添え」がないとやっていけないと思います。これによって精神面などがだいぶ変わってくると思いますよ!ぜひしっかりとした信念をもって頑張っていきましょう!

    とめ

    タイトルにもあるように、妻と「二人三脚」で「ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指したい。」と、様々な試練を乗り越えて「町中華」と「ラーメン専門店」のハイブリッドを実現させた「YOKOHAMA中華そば かみ山」店主の神山潤さん、かおりさんご夫妻。

    夫婦2人での経営やカウンター7席での営業など、ミニマムな経営スタイルの成功事例は、今後、夫婦での開業を考えられている方には、とても参考になると思います。

    また、取材をさせていただき、店主である神山潤さんの、妻かおりさんへの感謝の気持ちを強く感じました。

    妻には本当に苦労を掛けましたが、その際の「力添え」があったからこそ今があり、感謝してもしきれないくらい感謝しています。この記事が「感謝状」になるかなというお言葉、また、「本当に周りの人の支えがないと無理。精神論だけではやっていけない。ここはぜひ念頭に置いておいてもらいたいですね。」というお言葉が特に印象的で、「自分一人だけでは何もできない。」という一見当たり前のことを再認識させられました。

    脱サラし夫婦2人で新規開業される方もいらっしゃると思いますが、このような経験と心構えが開業後の様々な苦労と困難を乗り越える根源なのかもしれません。

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    #取材協力
    店名:YOKOHAMA中華そば かみ山
    店主:神山潤氏
    住所:東京都世田谷区経堂5-29-21
    TEL:なし

  • 【ラーメン店・地球の中華そば】「特に失敗したことがない」と言い切れるのは「メニューの幅と高いクオリティー」を維持しているから。28歳で脱サラ後の遅咲き開業からの成功秘話とは?

    【ラーメン店・地球の中華そば】「特に失敗したことがない」と言い切れるのは「メニューの幅と高いクオリティー」を維持しているから。28歳で脱サラ後の遅咲き開業からの成功秘話とは?

    京浜急行電鉄本線 金沢文庫駅から徒歩2分の立地にある、ラーメン店「地球(ほし)の中華そば」。2014年にオープンして以来、「TRYラーメン大賞2015-16」新人大賞総合1位、TRY部門賞等アワードで数々の賞を受賞した実力店となりました。店主は、東京・渋谷にある本格派の博多豚骨ラーメンの名店「麺の坊 砦」で長年修業を積んだ樋上正径(まさみち)さん。28歳で大手企業から脱サラし、あっという間に「知る人ぞ知る」人気店となりましたが、ここまで来るには一筋縄ではいかない数多くの苦労があったのです。

    開業までの経緯

    学生時代に20歳で横浜ラーメン博物館にあった「一風堂」でアルバイトをしたのがラーメンに携わるようになったきっかけ。その後、学生時代はずっとラーメン店でアルバイト。「一風堂」の一番弟子で、独立された中坪さんが「麺の坊 砦」を開業されたのを機に、そちらでアルバイトをした後、大学を卒業し通信会社に就職。

    4年間サラリーマンをしましたが、ラーメン店でアルバイトをしていた時の楽しさや仕事の充実感が忘れられなくて、飲食業に戻りました。まずは東京・護国寺にあった「ちゃぶ屋」で現「鳴龍」店主である斎藤さんの元で修業。ラーメン以外の料理の勉強のために居酒屋で1年働いた後、学生時代のアルバイト先「麺の坊 砦」に社員として戻り、5年間修業をし店長やマネージャーを経験。

    35歳で開業するにあたり決め手となったのは、ラーメン店でアルバイトをしていた時の楽しさ、ラーメンの味作り、その思い出から。また、転職を志したのが28歳だったので、本格的な料理を始めるのは難しく感じたので、自分にとって最も馴染みがあった「ラーメン店」に決めました。

    「砦」の店主の中坪さんには、学生時代にすごくお世話になり、『独立するなら絶対に「麺の坊 砦」で修業をしてから。』と決めていました。「麺の坊 砦」で5年間働き、味以外にマネジメントの部分もずいぶん教わり勉強になりました。

    そして、2014年10月20日、横浜市営地下鉄ブルーライン 伊勢佐木長者町駅 徒歩5分の立地にオープン。新店ながら「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「地球の中華そば」一番人気の看板メニュー「中華そば(塩)ラーメン」950円(税込)

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    物件探しは本当に苦労し、ストレスになりました。

    今年2023年2月7日に、開業した「横浜市中区長者町」から「横浜市金沢区谷津町」に移転しましたが、外部環境や物件の様々な問題に苦労しました。借りてみないと分からないことがたくさんありましたから。

    最初に開業した場所は、元々大阪の人間で縁もゆかりもない場所。条件的にここしかなく決めました。しかし、「居抜き」でしたが、狭さと衛生管理がネック。入居前に見ても、やっぱり開業してみないと分からないことが多い。ここは前にもラーメン店が入っていた物件で、その前はバーでした。換気のバランスが悪く、ドアがものすごく重いドアになってしまい移転するまで改善できませんでした。営業して初めて気が付いた点ですね。移転した場所は、同じ「居抜き」でしたが、広さが倍になり、駅に近くなり、たまたまですが妻の実家がここにあります。(笑)

    経営面では、おかげさまで特に失敗したことはなく、行き詰った時期がないんです。小規模の店舗で、もともと家賃が安い物件だったので、コロナ禍でも補助金が支給され、下がり幅が少なくむしろプラスとなり影響を受けませんでした。

    こういったこともあり、自分の貯蓄額等を踏まえて開業する際は最小限の「ミニマムスタート」をおすすめします。踏まえて自己資金300万円・借入600万円の合計900万円の資金で開業準備をしましたが、開業資金としてほぼなくなりましたので、開業に関して、想定よりもお金がかかるイメージを持っておいた方が良いと思います。

    18~20席(カウンター7席、テーブル4席×1卓・3席×1卓、お座敷敷4〜6人)のため、行列が絶えない日が続いています。

    開業してみてはじめてわかったこと

    思ったほど利幅が残らないということ。食材原価や光熱費が以前よりかなり高騰していますので。

    開業時と比べても、特に光熱費は2倍以上。ここは抑えようがない部分で、仕込みもしかり営業をすれば必ず発生するものですから。

    本当はメニューの価格を上げたいですが、移転後まだ間もないのでためらっています。特に、移転したしたこのエリアは、「とんこつ」だけで展開されていたり、「家系」が強いお店が多かったりする地域ですので、価格にはシビアで値上げには躊躇している状態です。

    また、「自家製麺」を提供していますので、厨房設備のことや法的なルール・届け出に関してはクリアしなければいけないことがあるのは開業してから分かりました。「自家製麺」を提供しようと考えている方は、厨房区画内で製麺作業を行わなければいけませんので必ず意識しておいてください。

    「麺の坊 砦」にてマネージャー、支店の店長を経験後、2014年10月に伊勢佐木長者町に「地球の中華そば」を開業。店名の由来は、奥様の旧姓が「星野」だったことからという愛妻家でいらっしゃいます。

    テンポスとのかかわり

    開業時はほとんどありませんでしたが、移転時には戸塚店にお世話になりました。

    開業時はネットのオークションサイトで中古を購入しましたが、あまり状態が良くなかった。移転時は「スチコン・ガステーブル・製氷機」など新品で100万円以上の購入。アフターケアや搬入の仕方も満足で本当に助かりました。移転の引越しもテンポスにお願いしました。「こんなに対応が良い店なんだな。」と移転時に思いましたよ。

    今年6月に「フリーザー」を購入予定ですので、またお世話になると思います。

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    移転で地域性もかなり変わったので、今の地に根差していくことを大事にしています。また、今までこの地域にない味で展開しているので、「地球の中華そば」の味を少しでも広めたいと思っています。また、自分は他人に任せられないタイプなので、多店舗展開は考えられないですね。「人の問題」はけっこう大きく影響しますから。

    開業する方には、「こだわりをもってラーメン作りを行う」ことを伝えたいです。「自家製麺・無化調」で提供していますが、それに対して非難・批判はありますが、そういった声に左右されてブレることなく、自分の信念を曲げずに貫き続けることを大事にしています。

    また、「メニュー力」は大事。繰り返し来店いただけるようなメニューを考え構成しています。「最初に来店されて食べられたメニュー以外で、食べてみたいメニューがあるからまた来店する。」といった流れを確立し、どのメニューを食べてもらっても満足いただけるものを提供しています。全てにおいて「メニューの幅と高いクオリティー」を保つことは大変ですが、リピーターになっていただくには最も重要な要素です。

    実際に、複数メニューを提供することは仕込み量が増え手間もかかり大変です。しかし、それを大変と思わずに取り組むことも大事です。

    今の時代はSNSなどで良い声も悪い声も評判として書かれます。そこに気にすべきこともあるかもしれませんが、ぜひ開業時の想いは貫き通してください!

    とめ

    28歳で大手企業から脱サラし、あっという間に「知る人ぞ知る」人気店となった「地球の中華そば」。

    ラーメン店開業を決意されてからの修業期間は7年間と決して長くはないですが、「こだわりをもってラーメン作りを行う」という芯の強さとブレなさに関しての熱い思いが印象的でした。繰り返し来店いただけるような幅広いメニューを用意され、「複数メニューを提供することは仕込み量が増え手間もかかり大変ですが、それを大変と思わずに取り組むことも大事です。」というお言葉に大きな自信も感じ取ることが出来ました。

    ひとまず終息を迎えつつあるコロナ禍ですが、今後どのような試練が待っているかは分かりません。「コロナ禍でも補助金が支給され、下がり幅が少なくむしろプラスとなり影響を受けませんでした。」とのことでしたが、自分の貯蓄額等を踏まえて開業する際は最小限の「ミニマムスタート」をおすすめするとのこと。

    もちろんこれが絶対条件ではありませんが、成功をされている樋上さんのお言葉だからこそ信ぴょう性があるのかと思います。

    新規開業を考える方は様々な理由があると思いますが、このような経験と心構えが開業後の様々な苦労と困難を乗り越える根源なのかもしれません。

    テンポスドットコムでは、様々な視点からラーメン店の開業成功を全力で応援します。
    自分のお店の業態に合わせて必要なものは何があるのか、詳細を確認することができますので是非ご覧ください!

     ラーメン店開業支援の詳細を知る

    開業に関するお問い合わせはこちら

    #取材協力
    店名:地球の中華そば
    店主:樋上正径氏
    住所:神奈川県横浜市金沢区谷津町347 千輝ビル 101
    TEL:なし

  • 【ラーメン店・麺屋つくし】「味噌ラーメンを地元富山でもっと広めたい。」北海道・札幌の名店「すみれ」から「のれん分け」後の成功秘話とは?

    【ラーメン店・麺屋つくし】「味噌ラーメンを地元富山でもっと広めたい。」北海道・札幌の名店「すみれ」から「のれん分け」後の成功秘話とは?

    富山地鉄バス「太郎丸口(郊外方向)・富山市民病院前・富山市民病院口」 各バス停から徒歩約2分の立地にある、ラーメン店「麺屋つくし 本店」。2005年にオープンして以来、『ミシュランガイド富山・石川(金沢)2016特別版』で「ミシュランプレート(調査員おすすめ)」に選出や「富山県食べログラーメンランキング1位」を受賞などした実力店となりました。店主は、北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」で10年近く修業を積んだ岩崎均(ひとし)さん。「すみれ」の系譜を継ぐ公認店ですが、地元富山から札幌に行き修行され、ここまで来るには一筋縄ではいかない数多くの苦労があったのです。

    開業までの経緯

    元々は大手運送会社に就職しセールスドライバーでした。人に雇われるのがあまり好きではなかったので、「いずれ何かをやりたい。」と思っていて、資金を貯めようということで20歳ごろから6年半、給料は高かったですが、寝る暇もないくらい働き詰め。

    そんな中、独立を考えていた頃、食べ歩きが好きで、全国を食べまわっていて、ひとまず富山に帰り出直して、今度は東京・横浜に行ったのですが、新横浜のラーメン博物館で、出会ったのが、当時出店されていた北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」。15~16時ごろに入館したら唯一行列が出来ていて、「すみれ」を知りませんでしたが、家族ですみれの味噌ラーメンを食べた時、感動と衝撃で思わず無言で顔を見合わせました。急いでラーメンを平らげ、車の中から本店に即電話しました。

    弟子入りをしたいとすみれの社長に直訴するも、当時は地元以外からの弟子の受け入れを行っておらず、手紙も出しましたが、3回断られました。その後、「すみれ」の社長に挨拶をしに行こうという目的で札幌に行きましたが、社長には会えませんでした。しかし、たまたま、今はすみれから独立され暖簾分けをされている「麺屋 彩未」の奥さんが店長をやられていて、伝言を残したら「改めて面接をしようか。」という話になり、最終的には、私の押しと熱意に負けて弟子入りを認めてもらえたのです。

    体力には自信がありましたが、弟子入り後は、慣れない立ち仕事の連続と素人という立場で、1~2年は工場勤務でした。故郷富山の家を出て退路を断ち、札幌に移住して弟子入りできましたが、最初の2年位はほぼ雑用的な仕事。工場で、当時やっていたお土産用の「すみれ」のストレートラーメンを毎日作っていました。その後、ようやく厨房に入れましたが、3年目くらいで「辞めようかな」と思ったほどきつかったですね。富山から札幌に修行に行くといった他県からの人間は自分だけで、アパートも自分で探し借りていました。妻と子供も一緒に富山から連れていき、弟子入りの面接時に「10年働いたらのれん分けを認める。」ということで、「すみれ」2号店の店長を務め、24時間365日ラーメンに没頭しました。

    当時を振り返り、初めて店長になり自分の名刺をもらえたのは嬉しかったですね。今でも取ってあります。(笑)

    その後、2005年9月22日に地元富山で念願の独立をして今年で18年になります。出店場所は、味でとことん勝負するために、あえて大きな道路から1本入った人通りの少ない裏路地を選びました。最終的に富山地鉄バス 太郎丸口(郊外方向)・富山市民病院前・富山市民病院口 各バス停から徒歩約2分の立地にオープン。新店ながら「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「麺屋つくし」一番人気の看板メニュー「もつ味噌ラーメン」1,000円(税込)※ほとんどの方が、小ライス170円(税込)も注文をされるそうです。

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    東京での開業に憧れもありましたが、地元富山に「すみれ」の味を味わっていただきたいという気持ちが熱く最終的には富山で開業を決めました。

    2005年当時、東京ではある程度「すみれ」の知名度はありましたが、北陸で「すみれ」の知名度はそれほど高くはなかったんです。また、地元で「すみれ」の味が受け入れられるかという不安もありました。

    開業時には、周囲に富山にも「北海道ラーメン」の有名店が出店されていましたが、今は全て閉店。開業後は、毎日死に物狂いで働いていましたが、「富山では北海道ラーメンが受け入れられないのじゃないか。」という不安は常にありました。また、どこのお店にも言えることかもしれませんが、スタッフがなかなか集まりづらく、今は友達が友達を紹介という流れでなんとか確保が出来ています。

    また、物件探しは本当に苦労しました。ロードサイドではやりたくないという思いがあり、「すみれ」のルーツ同様、あえて大きな道路から1本入った人通りの少ない裏路地を選びましたが、半年くらいかかりましたね。

    売上に関しての失敗はそれほどなく赤字続きではなかったですが、2020年からのコロナには影響を受けました。他の「すみれ」からの独立店は1店舗での運営はほとんどですが、「麺屋つくし」は3店舗経営。複数店舗経営は人材の事もあるしリスクがあります。しかも富山駅前の「きときと市場とやマルシェのれん横丁」に出店した3店舗目は2020年1月に契約。2020年4月27日のオープンを予定していましたが、4月に緊急事態宣言が発令されたため、実際に6月1日にオープンを延期。閉店させることをいつも考えていたくらいです。外出制限もあり、郊外の本店は常連さんでなんとかなりましたが、駅前は難しい。駅前のオフィスからの来店客も減り1年半くらい赤字が続き苦労しました。

    今思うと、企業努力で、富山駅前のソーシャル活用とかスタッフのサービスの向上、味への追求、限定メニューの実施などで認知度を上げる努力をし続けて何とか乗り越えられた感じです。通販はコロナ前からやっていましたが、コロナ禍前は、店舗が忙しすぎて通販は後回し的な存在でしたが、コロナ禍では、外部コンサルタントから1年半くらい勉強をさせてもらい強化をし、外部委託から自社運営にし、カバーの要因となりました。

    25席(カウンター11席、テーブル14席)のため、行列が絶えない日が続いています。

    開業してみてはじめてわかったこと

    本店が『ミシュランガイド富山・石川(金沢)2016特別版』で「ミシュランプレート(調査員おすすめ)」に選ばれたこと。ミシュランガイド掲載は、「すみれ」からの独立店では「麺屋 彩未」だけ。本当にやっていて良かったなと思いました。「すみれ」では自分はセンスがあったわけではなく素人からの修行だったので感慨深いです。

    また、お客様との関係。「すみれ」時代は、対職人的な感じでしたが、常連さんが増えてくると、お客様と話す機会が増えてきて、自分が作ったラーメンを食べ終えたお客様を、自分がレジでお会計をする際に、笑顔が見られたり「美味しかった。また来るね。」なんて言ってもらえたりするのが嬉しかったです。

    元すみれ2号店の店長を勤めた後、2005年に「麺屋つくし」を開業。食べ終わるまで冷めないアツアツのスープに溶け込んだ生姜がアクセントで濃厚な味噌味が特徴。店名は『大地に力強く根付き、親しみやすく永く愛される「つくし」の様に、地に根をおろししっかりと育っていきたい、との思いから』だそうです。

    テンポスとのかかわり

    開業当時からのお付き合いで、富山店にはお世話になっています。今は立山町にありますが富山市内の呉羽にあった時から利用させてもらっています。

    「麺屋つくし」開業時、最初は地元の関係者から買っていましたが、鍋に制服(甚平)など、厨房機器関連は9割がテンポスさん。

    最近来店できていませんが、電話で店長の細川さんとは仲良くさせていただいており、とてもいい方で相談することもありますね。

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    自営業を始めて勉強になったのは「人を雇うこと」の難しさです。人それぞれ色んな考えや思いをもっています。
    今でも日々勉強させてもらっています。そのおかげで、私も、若い時より人間に深みが出たと思っております。

    富山といえば、「ブラックラーメン」のイメージが強く有名ですが、自分は、地元の皆さん、北陸の皆さんの1人でも多くの方にそれを覆す感動をもらった「すみれ」の味を伝えたい一心で店舗を展開しました。
    しかし、1店舗と3店舗ではトラブルの多さは倍以上になり、残念ながら儲けは倍になるわけではないのです。
    やはり、店舗を増やすとなれば費用は倍以上かかりやり方によっては違う結果もあると思いますが私の場合はそうでした。

    そんな中コロナが流行し始め、営業の規制、時間の規制があり、人との距離、ソーシャルディスタンスが設けられなかなか思うように行きませんでした。
    そこで、テイクアウトでの冷凍食品の技術の進歩に驚き目の当たりにし、こういったやり方も良いのではないかと感じました。

    小さいお子様をお連れのお客様や、歩行困難なご年配の方には、お店にはなかなか出向くことは難しく、テイクアウトならご自宅でもお店の味をそのままに喜んでいただけるのではないかと感じました。お店だけではなくそういった違う目線にも目を向け、テイクアウトや冷凍自販機の販売などをして、地元の方やお世話になった方に恩返しをして行きたいと思います。

    とめ

    北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」で修業後、地元富山に凱旋され、当時定着されていなかった「味噌ラーメン」を軸に2005年にオープンして以来、『ミシュランガイド富山・石川(金沢)2016特別版』で「ミシュランプレート(調査員おすすめ)」に選出や「富山県食べログラーメンランキング1位」を受賞など、『「すみれ」では自分はセンスがあったわけではなく素人からの修行だったので感慨深いです。』というお言葉が印象的でした。

    「若いころの苦労は買ってでもしろ。」というと時代遅れなのかもしれませんが、「当時の苦労があったからこそ今がある。」と強く感じました。また、富山というと「ブラックラーメン」が有名ですが、『それを覆す感動をもらった「すみれ」の味、「味噌ラーメン」をもっと富山に広めて盛り上げたいですね。』というお言葉がとても印象的でした。

    地方から上京されて新規開業される方も多いと思いますが、このような経験と心構えが開業後の様々な苦労と困難を乗り越える根源なのかもしれません。ただ「息抜き」も忘れないようにしてくださいね。

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    店名:麺屋つくし
    店主:岩崎均氏
    住所:富山県富山市太郎丸本町3-10-1 第2サクラギビル
    TEL:076-423-2941

  • 【ラーメン店・つけ麺 和】開業時の全財産がなんと「460円」から行列が絶えない人気店に。「飲食=エンターテインメント」と語る店主が東京・亀有の名店「つけ麺 道」から独立後の成功秘話とは?

    【ラーメン店・つけ麺 和】開業時の全財産がなんと「460円」から行列が絶えない人気店に。「飲食=エンターテインメント」と語る店主が東京・亀有の名店「つけ麺 道」から独立後の成功秘話とは?

    東武スカイツリーライン竹ノ塚駅から徒歩3分の立地にあるラーメン店「つけ麺 和」。2018年にオープンして以来、雑誌「TRYラーメン大賞-ラーメン・オブ・ザ・イヤー」で同年新人賞を受賞、その後も同誌の「つけ麺」部門で毎年のように受賞する実力店になりました。店主は、東京・亀有にある「つけ麺 道」で6年の修行を積んだ金井和繁(かずしげ)さん。修行先でのノウハウをさらに高めて完成させた、濃厚な魚介つけ麺が大人気!ほぼ常に2時間程の待ち時間は覚悟しなければならない、全国トップクラスの行列店から唯一認められた一番弟子が立ち上げた「公認店」ですが、ここまで来るには一筋縄ではいかない数多くの苦労があったのです。

    開業までの経緯

    高校までずっと野球をしていて、高校卒業後の進路も野球で考えていましたが肩を壊してしまい、あきらめざるを得なくなりました。そこで、「自分だったら何が出来るかな。」と考えた時に、料理の専門学校に行こうと思い料理人を目指しました。きっかけは、野球部の先輩が飲食店をやっていて食べに行った時にめちゃくちゃ美味しくて「かっこいいな。」と思ったから。

    最初は、中華料理の店に就職しましたが、飲食店の厳しさを痛感し辞めてしまいました。その後、20歳の時に「つけ麺 道」の門をたたき、入った際に「25歳で自分の店を持ちたい。」という夢を持ち頑張りました。24歳の時に店長となった際に、多くのお客様が付いてくるようになりました。その際に、お客様から「金井君(つけ麺 和の店主)のお店やらないの?金井君の作ったラーメンを食べてみたい。」との声をもらうようになりました。

    お店のファンはよく聞きますが、自分自身のファンが多かったのはありがたかったですね。結果的に、独立前のお店のお客様で、そのまま引き続き来店していただく方が多かったです。また、修行先の「つけ麺 道」では、厳しい条件の中で弟子として唯一認められました。

    また、東京・竹ノ塚という場所柄、新規のお客様というより常連のお客様が多いという状況ですが、もともと竹ノ塚に開業した経緯は、地元の埼玉・川口から車で10~15分という近さから、竹ノ塚によく遊びに行っていたこともあり、修行先の東京・亀有からも遠くないちょうど中間地点で、地元の友達や「つけ麺 道」のお客様に来てもらいたいなという気持ちからここに決めました。

    このように、お客様の声もきっかけで開業の気持ちが高まり、2018年1月9日に6年間修業した後、竹ノ塚駅から徒歩3分の場所に「つけ麺 和」をオープン。新店ながら「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「つけ麺 和」一番人気の看板メニュー「特製つけ麺」1,350円(税込)※トッピングは、チャーシュー、味玉、材木メンマ、海苔、ネギ、ニンニク醤油。

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    開業にあたり、融資を受け開業の準備をし、2018年1月9日にオープンしましたが、当日全財産が460円しかなかったんです。その通帳残高の写真を今でも持っていますよ。(笑)

    「運転資金は100万円ほどあった方がいい、最低でも50万円は必要。」と言われていましたが、当時まだ売掛ではなく、仕入れ先から信用がなかったので、オープン日にお客様に提供した麺など原材料費の支払いが出来ない状況でした。こういった状況だったので、オープン日の売上を、そのまま売掛の次の日の食材仕入れに充てるというまさに「自転車操業」。

    お客様が来店されず1週間でも赤字が出たら、1ヶ月も持たないような状態でスタートしましたので、資金の調達に最も苦労しました。失敗が許されないし、自分が体調不良になったら即閉店という状況。コロナ禍になり資金繰りに苦労された飲食店は多いと思いますが、オープン時に全て自分ひとりで回し、460円しかない状態からスタートしていますから、全然怖くなかったです。

    オープンから1か月経ち、周囲からは「開店後3ヶ月は赤字だよ。」と言われていましたが、広告を出さなかったにも関わらず、『「つけ麺 道」から独立した一番弟子』のお店ということを口コミやSNSで広めていただいたこともあり、オープンしてからずっと行列が続きました。

    最初は、「苦労して失敗したな。」と思いましたが、「見習いから下積み時代の6年間のストーリー」にお客様はお金を払ってくれているのかなと思いました。もし、「つけ麺 道」の味をそのまま1ヶ月程修行して提供しても成功していなかったと思います。「つけ麺 道」で6年間修業したという付加価値にお客様が共感し、応援して来店してくれていたのかなと思います。

    また、2020年にコロナ禍で「緊急事態宣言」が出されて世間的に大変だった時期に、仙台に2店舗オープン。周囲の飲食店が売上低下で苦しい状況だったので、逆のことをやってやろうと思いました。苦しくて辞めている店舗があるということは、良い物件・場所が取れると判断しました。クビになったり、退職したりした方がいる中で、新規出店をすれば人材の確保にもつながり「逆張り」を仕掛けました。まさに「ピンチはチャンス」を具現化し実行したのが良かったと思います。

    カウンター13席のため、行列が絶えない日が続いています。

    開業してみてはじめてわかったこと

    開業してみて、お客様に自分の中で間違いがないものを提供していて喜んでいただいていると思いますが、最も大事なのが「人」かなと思います。人との関わり、付き合い、またテンポスさんといった厨房機器の業者さんとか、仕入れ業者・お客様・お店のスタッフ・自分などが同じ方向を向いてやっているから成功できるのかなと思います。

    例えば、自分だけが利益を欲しいと思っていたら、開業してすぐに閉店していたと思います。目先の利益だけで、自分だけが良ければいいと思っていれば、その気持ちは業者さんやお客様にも伝わってしまい、いいものが提供できなくなる。いろいろな人がチャンスを与えてくれて、それを生かすも殺すも自分次第です。

    売れていたり、人気があったりする時は、誰でも寄ってきますが、上手くいかなかった時に誰が手を差し伸べてくれるかが重要と思っています。開業してみて改めていろいろな人たちの協力や支えがあってお店は成立していると思いますよ。

    脂肪分が少なく臭みがほぼない「あべどり」をメインに豚骨等を合わせ、強火で2日間煮込んだ動物系出汁と、サバ節・煮干し・アゴ・宗田節・上質な鰹節から採った魚介出汁の2種類を、絶妙なバランスでブレンドさせたスープ。

    東京・亀有にある「つけ麺 道」で6年の修行を積んだ後、2018年に「つけ麺 和」を開業。店名は『修行先の店名と店主の名前「和繁」の最初の文字「和」から決めた』だそうです。

    テンポスとのかかわり

    竹の塚にある東京本店開業の際は、全てテンポスの川口のお店で揃えました。また、仙台出店時も盛岡店・仙台店で、厨房機器関連を揃えました。

    今は出店予定がないですが、出店予定がある際は、1ヶ月に1回は必ず行っています。テンポスさんは親身になってくれる印象があって、仙台店での購入時に、「こういうものが欲しい」とお願いしたらすぐに調べて仕入れてくれました。「盛岡の店舗にはこれが無かったから、どうすればいいですか?」と聞いたら、「仙台から盛岡の店舗にすぐに送りますよ。」とすぐに対応してくれて助かりました。お店同士で連携を取られていてすぐに対応してくれる点がとても魅力的です!

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    今は、東京・岩手(盛岡)・宮城(仙台)に2店舗の合計4店舗を出店していますが、各都道府県に必ず1店舗は「つけ麺 和」があるようにしたいです。

    また、会社名が「株式会社 KK JAPAN」という名前なのですが、「金井和繁(かないかずしげ)日本の代表」という意味合いを込めています。「つけ麺」を「世界のスタンダード」にしたいから。「つけ麺=日本食」にさせたい気持ちが強く、海外進出も考えています。

    ようやくコロナ禍も落ち着いてきたので、規模拡大をしていきたいですが、まだ組織としての基盤が出来ておらず、それを作っていかなければいけないですが、10年後くらい、自分が40歳になるまでには各都道府県に必ず1店舗は「つけ麺 和」があるようにしたいです、その後、海外進出ができれば嬉しいですね。

    最後、開業する方へのメッセージとしては、「飲食=エンターテインメント」ということ。

    美味しいものを求めるだけであれば、例えばスーパーで冷凍食品を買ってきても十分に美味しい。なぜ外食産業の飲食店に行くのかというと、「誰かとしゃべって楽しい、店主としゃべって楽しい、美味しい」というエンターテインメントを求めていくのであり、それを作っていける場所だと思っています。それが提供できないのであれば、「開業するのはナンセンスかな。」と思ってしまいます。「美味しいだけではなく、お客様を楽しませる。」という気持ちが大事だと思います。

    また、従業員にはいつも言っていますが、「お金持ちになりたいからラーメン屋になるのではなく、ラーメン屋でお客様を喜ばせることが出来たらお金持ちになった」という感覚の方がいい。正直、お金を稼ぎたいのならラーメン屋をやらない方が良いと思っているので。もっとお金を稼げる方法は他にもあります。やっぱり自分が作ったものをお客様に提供し喜んでいただくと、自分の名誉になるし、「自分が作ったもので、たくさんの人の人生が変われるくらいのものを作りたい。」という気持ちの方が開業した時に結果が変わってくると思います。

    とめ

    東京・亀有にある「つけ麺 道」で6年の修行後に、「つけ麺 和」開業時に全財産が「460円」しかなかったという衝撃の事実には驚きました。それでもそういった状況を乗り越え、オープン後すぐに完全に行列店として定着させたのは、まさしく店主金井さんの「つけ麺 道」で6年間修業したという付加価値にお客様が共感され、お店のファンであり、金井さんのファンでもあるお客様があってこそだと実感させられました。

    また、「飲食=エンターテインメント」という理念のもと、32歳の若さで、各都道府県に必ず1店舗は「つけ麺 和」があるようにし、その後、海外進出をしたいという野望を持たれている点に芯の強さを感じました。

    「自分が作ったもので、たくさんの人の人生が変われるくらいのものを作りたい。」というお言葉は、これから開業を検討されている方には深く刺さるものではないでしょうか?

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    #取材協力
    店名:つけ麺 和
    店主:金井和繁氏
    住所:東京都足立区西竹の塚1丁目12-9 共栄ビル 1F
    TEL:03-5856-9311

  • 【ラーメン店・麺屋 神工】「ひとりでは何もできない」と痛感!スタッフを何よりも大切に考え、コロナ禍での開業を乗り越えたエピソードとは?

    【ラーメン店・麺屋 神工】「ひとりでは何もできない」と痛感!スタッフを何よりも大切に考え、コロナ禍での開業を乗り越えたエピソードとは?

    2023年4月に東京都・京成金町線 京成金町駅から徒歩6分の立地に移転されたラーメン店「麺屋 神工」。2021年1月に、千葉県・南柏に開業してすぐにコロナの「緊急事態宣言発令」が発令。コロナ禍の真っ只中を経験された人気店の店主は、「二郎系」の魅力に取りつかれ、素材の味を最大限に活かし、ジャンクなのに最後まで飽きずに食べられるラーメンを生み出した神田隼弥さん。今回は、コロナ禍での開業を乗り越えたエピソードを交え神田さんの「人となり」にも迫ります。

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    開業までの経緯

    「二郎系」のラーメンが大好きで、大学4年の頃からなんとなくラーメン店をやりたいなという気持ちがありました。たまたま就職した会社の営業所の近くに「ラーメン二郎 茨城守谷店(現在は閉店)」があり、半年くらい週3回くらいは通う、いわゆる「ジロリアン」でした。

    当時、仕事もそれほど楽しくなかったし、ラーメン屋になりたいという気持ちが強かったので、辞めて都内の人気ラーメン店で働き始めました。開業のため年間100万くらいは貯金をし、家賃38,000円のアパートに住み頑張ってはいたのですが、「遊びたいな。」という気持ちが勝り、2年位で辞めてしまいました。

    25~26歳の時に、別のラーメン店で社員だったりアルバイトをしたりし、「ぷらぷらした」生活をしていましたが、「これではまずい。」と思い気持ちを切り替えました。「そろそろちゃんとしなければいけないな。」と思っていた頃、27~28歳で今の奥さんと出会いましたが、「ダメ人間」だというのは自分でも分かっていたので(笑)、お金をすべて奥さんに渡して開業資金を一緒に貯めてもらいました。

    その後28~29歳までは、開業に向けひたすら頑張ったので、奥さんの力は大きいですね。

    今でこそいろいろなラーメンを食べますが、当時は「二郎系」ばかりを食べていたので、開業する際は「それしかないな。」とジャンルは決めていました。特に、ひとつのお店で長年修行してきたわけではないですが、中毒性にひかれてしまいました。

    独立の決め手は、独立前最後に働いていたラーメン店でもいろいろやらせてもらっていましたが、全部自分で0から10まで自分のレシピでは難しいので、全部を自分でやりたいと思ったのと、飲食店は労働環境が良くないところが多いので、自分は「従業員が働いていて幸せになれるような環境を作りたいな。」と思い2021年1月の開業に踏み切りました。

    そして、千葉県・JR常磐線 南柏駅から徒歩1分の立地にオープン。新店ながら「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「麺屋 神工」一番人気の看板メニュー「ラーメン(小)」950円(税込)無料トッピング:野菜・にんにく・あぶら

    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    開業したのが2021年1月6日。なんと、その2日後にコロナの「緊急事態宣言」が(1都3県)東京・神奈川・埼玉・千葉に発なので、まさにスタートダッシュからつまずいたんです。

    やはり「最初がいちばん大変だったな。」と思います。当時、南柏で開業したのですが、人気物件で早く契約をしなければいけなかったのと、契約後は家賃が発生し、安くはなったので「今やるしかないな。」という思いで、開業延期はしませんでした。また、なぜか「正直、コロナでも大丈夫だろう。」という根拠がない自信があり、いきがっていました。(笑)

    振り返ってみると、「勢いとやると決めたらやり切る」というのが大事かもしれないですね。

    そんな「コロナ禍」真っ只中の開業後は、正直赤字続きではなかったですが、自分が想定していたより来店される方が少なかったです。正直、最初の数ヶ月はきつかったですね。

    失敗と言えば、南柏の物件が大きくて、厨房が高いところにありました。結果的にカウンターの壁が異様に高くなり、お客様とほぼコミュニケーションが取れず、カウンターのお客様からは厨房は何も見えない状況。

    カウンターの台自体を高くすれば良かったのですが、逆にコロナ禍において、お店側とお客様側との間で、食材やスープ、飛沫の接触がないので良いかなと思いましたが、やはりコミュニケーションが取れないのは飲食店にとっては大きな痛手となりますね。

    また、コロナ禍で、最初の2ヶ月位は厳しかったなか、持ち帰りの冷凍ラーメンと通販(自社・外部サイト)を始めました。緊急事態宣言中は夜20時までの営業しかできず、お客様も外食に大きな抵抗を感じていた時期なので、始めた結果、月間売上の約30%アップにつながり、その後も平均して15~20%アップになっていました。オペレーションが大変なので店内飲食だけで行きたかったのですが、そんなことを言っている場合ではなかったのが正直なところ。

    自社通販は、お店から徒歩10分圏内の方も買ってくれていて、「外食離れ」が深刻な時期でしたので、本質的に「お客様が喜んでもらえることをやる。」のが大事なので、その頃のお客様のニーズに対応しただけなんです。これは本当に大きく嬉しかったですね。

    2023年4月15日に金町に移転してからは、まだ通販を再開していませんが、6月中目標で再開したいと思っています。

    カウンター10席のため、行列が絶えない日が続いている。

    開業してみてはじめてわかったこと

    「完全にひとりでは何もできないな。」ということです。

    たまにひとりでお店を回すこともありますが、通販用の冷凍ラーメンの対応を自分が全て行うのは無理。

    自分は、暇な時でも「今日は暇だね。」とか、忙しい時でも「今日は忙しかったね。」といった会話をしないと駄目なタイプ。人を大事に出来ていたかは分かりませんが、南柏から金町に移転するにあたり、柏近辺に住んでいるスタッフが多かったのですが、7~8割のスタッフ(現在はアルバイトのみで運営)が金町まで付いてきてくれて嬉しかったし、自分自身「神工で働いていて良かった。」と思ってもらいたい。自分のお店で働く価値を与えられていると思うと嬉しいしありがたい限りです。

    開業してしばらくは、来店客が少なかったので、たまに忙しくなるとスタッフが付いてこられなくなることがあり、怒ったりすると、辞めてしまうスタッフが多く定着しなかったなかで、「ひとりでは何もできないな。」と思ったんです。能力というのは人それぞれなので、出来ないスタッフには、仕事上がりに「反省会」を行い、実施することで毎回できることが増えてくるんです。そこはしっかり認めてあげると結果的にスタッフの自信にもつながり定着率が上がりました。

    ちょっと自慢みたいになりますが、「うちのスタッフはみんないい子ですよ!」お客様に喜んでもらうために自分から考える癖が出来ているんです。お客様から「けっこう気が利く。」というお言葉ももらい、自分事のように嬉しくなります。

    自分の時代は、「怒られて見て学べ。」と教わっていたので、今の時代でも最初は同じようにスタッフに接していたのは大きな反省点ですね。

    素材の味を最大限に活かし、ジャンクなのに最後まで飽きずに食べてもらえるように豚骨・豚肉・背脂を丁寧に炊き上げ、野菜の旨味を抽出した「ベジ豚」スープが特徴。

    テンポスとのかかわり

    移転前の南柏の時代から、買い物は柏店。店にない在庫も柏店に行けば、すぐに取り寄せていただきスピーディーな対応に満足しています。

    ネットの方が安い商品もたまにありますが、自分は2~3ヶ月に一度のペースで来店し、まとめて購入させてもらっています。

    金町に移転後も、柏店の規模も大きく慣れているので、お世話になると思います。その際はぜひよろしくお願いします。

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    「今は、店舗展開は考えていません。」今は、移転した金町のお客様に喜んでもらえるよう地に足を付けてコツコツやっていきます。

    開業される方へのメッセージとしては、「自分が良い・やってみたいと思うこと」はまずやってみるということです。

    周りから反対されることもありましたが、移転に関しても、以前の南柏の物件は約35坪あり、乗降客数が多い駅ではなかったですが、2年店主をやってみていい経験と自信になりました。

    周囲に「物件を探して2年経ちました。」という人もいますが、「とりあえずいいなと思ったらやってみようよ。」というのが自分のポリシー。

    移転した理由は、先程お伝えした「カウンター問題」と、南柏でやれた自信から東京でやってみたかったこと、そして「大島」の大島さんから、「南柏の店舗は二郎系には向かないかもね。」とアドバイスをもらったことですが、ちょうど大島さんから話をされた翌日に「金町」の物件が出てきたのですぐに内見して即決。ぱっとすぐに行動して良かったなと。

    結局、飲食店は閉店リスクが高い業種なので、悩んでいる時間がもったいない。どうせ失敗するならすぐに動いて失敗した方がいいですよ!

    とめ

    ひとつの店舗で長年修行をされてきたのではなく、「二郎系」のとりこになり、開業する際は「それしかないな。」とジャンルは決めていたとのことですが、開業される方へのメッセージにもあった、「自分が良い・やってみたいと思うことはまずやってみるということ」を自ら実践されている神田さん。

    「完全にひとりでは何もできないな。」とご認識をされ、出来ないスタッフには、仕事上がりに「反省会」を行い、結果的にスタッフの自信にもつながり定着率を上げていると伺い、ちょっと自慢みたいになりますが、「うちのスタッフはみんないい子ですよ!」と言える店主がいるお店のスタッフは幸せだなと実感させられました。

    今後も、スタッフと金町のお客様の支持を得ることに全力を尽くされ、ますます人気店になると思います。

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    店名:麺屋 神工
    店主:神田隼弥氏
    住所:東京都葛飾区金町5-24-17
    TEL:非公開

  • 【ラーメン店・三ん寅】「札幌ラーメンで地元北海道への恩返しと貢献をしたい。」北海道・札幌の名店「すみれ」から「のれん分け」後の成功秘話とは?

    【ラーメン店・三ん寅】「札幌ラーメンで地元北海道への恩返しと貢献をしたい。」北海道・札幌の名店「すみれ」から「のれん分け」後の成功秘話とは?

    東京メトロ有楽町線 江戸川橋駅から徒歩3分の立地にある、ラーメン店「三ん寅」。2019年にオープンして以来、「東京ラーメンオブザイヤー」で数々の賞を受賞した実力店となりました。店主は、北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」で17年もの修業を積んだ菅原章之(のりゆき)さん。都内にある「すみれ」の系譜を継ぐ公認店ですが、ここまで来るには一筋縄ではいかない数多くの苦労があったのです。

    開業までの経緯

    元々はサラリーマンで営業職。ラーメンが大好きで色々な店を食べ歩き、気付けば年間400食以上食べていたそうで、「朝・昼・晩」ラーメンの日もあったのだとか。また、高校からの知り合いがみんな飲食店で働いていて、アルバイトから社員となり、自分の店を持つ人もいたなか、「ラーメンがそんなに好きならラーメン屋をやったらどうだ?」というアドバイスをもらったのが最初のきっかけだそう。

    そして20歳ごろの時に、「すみれ」本店で食べた際に衝撃を受けたのと、当時全国でも札幌のみに数軒しかなかった「すみれ」出身者のお店が好きで頻繁に通っていた時に、出身者の店主達の姿を見てるうちに凄く惹かれていき、一大決心をして「すみれ」の門をたたいたのです。

    ド素人の状態から始めたので、最初は「5年くらい頑張れば独立できるかな。」と思っていたが、現実はそう甘くはなく、自分が入ったお店は、「たかがラーメンと言えど、門をたたいて入ってみるとこんなに大変なんだな。」という苦労の連続。当時は、札幌本店と、新横浜ラーメン博物館しかお店が無く、今でこそ、スタッフにアルバイトの方もいますが、当時、ホールスタッフ以外は全て「職人(社員)」という厳しい環境で鍛えられました。「すみれの社長に認められるまではいよう。」と決心し頑張り続け、新店の立ち上げなどにも関わり、結果的には17年もの修業をされました。

    新規開業に関しては、最初は札幌で考えましたが、全国各地の新店立ち上げを経験したことで、兄弟子たちが多い札幌というより、まだこの味を食べたことがある方が少ない関東での開業を考えるようになりました。

    また、2019年の開業にあたり、味噌ラーメン離れが加速した時期でもあり、東京で既にのれん分けをされ人気店となっていた「大島」や兄弟子達もいたので、「東京で札幌ラーメンを盛り上げたい。」「ふるさと北海道にもいい影響を与えたい。」という気持ちで決意しました。

    東京で自分たちのようなのれん分けされたお店で、味噌ラーメンを食べていただき、「本場札幌で食べたらもっと美味しいんじゃないか。ぜひ現地で食べたいな。」という気持ちになってもらいたいです。と菅原さんは熱い気持ちを語られました。

    そして、北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」で17年ほどの修業を積んだ後、最終的に東京都・東京メトロ有楽町線 江戸川橋から徒歩3分の立地にオープン。新店ながら「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「三ん寅」一番人気の看板メニュー「味噌ラーメン」950円(税込)※ほとんどの方が、もやしトッピング100円(税込)・ちょこっとごはん40円(税込)も注文をされるそうです。

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    物件探しは本当に苦労しました。自分の場合、絶対ここでなきゃいけないというこだわりはなかったので、まだよかったですが、以前働き土地勘があった横浜と、都内23区で先輩たちと被らないエリアで探し、行列が出来た場合の周囲への影響、苦情に関しては、修行先で苦労を学びましたので特に気を付けました。

    たまたま見つけた場所も、塾経営希望の方に負けることも。住まいを決めてしまうと、探すエリアが限られます。自分は、「すみれ」に住み込みで修行をしていましたので、良さそうな物件があると上京して、横浜や都内のホテルに宿泊しながら物件を探したり見て回ったりしていました。そのように東京と札幌を行き来し探していたなかで、今の「江戸川橋」の物件に出会いました。

    当時は、全く知らない場所で、江戸川区だと同じのれん分けをされた「大島」とかぶるのでどうかと思いましたが、調べたら「新宿区」と「文京区」の境目で、路地2本入ったところでした。ただ、この場所が自分的に雰囲気とイメージが沸き「ピン」と来て即決。既に申し込みが1件入っていましたが、なんとか決めることができました。

    周囲からは「路地が2本入った場所で大丈夫か?」とも言われましたが、自分的には大通りよりも、修行先もそうでいたが、目立たないところで、路地が入ったところでお客様が列を作られる雰囲気が好きだったので、イメージにぴったりでした。

    また、失敗したことは、コロナ禍の際は言うまでもないですが、排気のダクトの問題でした。

    お店を作るうえで最初に工事をされると思いますが、自分の場合はマンションの1階部分だったので、通常はダクトを真っすぐ屋上に上げるところを、立地的にオーナーが上層階に住まれておりバルコニーがあり、ダクトを屋上に上げられず道路に向けて設置をして排気をしなければいけなったんです。お客様が並ばれる歩道の位置で、油が垂れてきたり、風が当たったりするので、何度も工事をし直し、今のような囲いを作ってなんとか対応し乗り越えられました。油が多い系統のラーメンですから、空調の故障が起きると死活問題にもなりますので。

    経営的な失敗は実感がないですが、お店作りの失敗は正直「すみれ」で新店の立ち上げも行い、他店も見て来たので分かっていたつもりでしたが、結果的に大きな出費となりました。

    このようにダクトやエアコンといった空調は、最初は費用を抑えようとして優先順位が下がるかもしれませんが、いざ設置後に直すとなると予想外に大きな出費となるので、絶対に優先度を上げて最初から取り組んでください。

    「資金が限られていて、とりあえず自分がラーメンを作れる環境さえあればいい。」という方はやむを得ないですが、ある程度資金が用意できる場合は、空調など最初に完璧なものを作り上げた方が、結果的にうまくいくと思います。後からの出費は本当に痛いですし、手直しは予想外の高額になるケースが多いと思いますので、ぜひ重視してほしいです。

    最初からお金を掛けるのは勇気がいりますが、それを怠った結果、後からストレスとなって帰ってくるので、そういった思いは自分の店舗だけでいいかなと思います。近所からの苦情で移転騒ぎにでもなったどうもこうもないです。(笑)

    カウンター7席、テーブル2席×2卓・4席×1卓のため、行列が絶えない日が続いています。

    開業してみてはじめてわかったこと

    先程お伝えした「ある程度資金が用意できる場合は、空調など最初に完璧なものを作り上げた方が、結果的にうまくいく。」ということ以外では、「すみれ」で17年間やってきて、店長や責任者を数多く経験し指導・教育・人材募集をしてきましたが、独立して、いざ自分のお店でやるとなると「人ってそんなに簡単に集まらない。」ということ。

    「すみれ」時代は、会社に雇われバックボーンがあったので、自分の努力もあったかもしれませんが、「すみれ」のお金で募集し、自分は面接をし「採用・不採用」の判断をし、業務の内容を説明し教えることだけでうまく回っていました。しかし、最初、無名の店舗が同じことをすると、全てが上手くいかず大変でした。

    オープニング時はそれなりに集まっても、その後は土地柄苦労の連続です。結構な額を払って4週間募集をかけても、応募が1~2件。同僚のお店なんかは30人ですから雲梯の差です。

    開業し自ら人を採用し育て教え、お店を1件自分の求めるレベルまで持っていくためには、とても大変でいまだ求めるレベルには到達できていないですね。しかも、ご時世的に叱ったり注意したりもなかなか難しい時代にもなってきましたし。

    自分の時は、ラーメン店で働くのは「修行」だと思っていて、給料どうこうというより「味を覚えたいので働かせてください。」と言って「すみれ」の門を叩いたタイプですが、今はそんな人は少ないですよね。

    こんな時代に自分のお店の味を守り教える「人」に関して、「いい人材が来ない。」と嘆くラーメン店のかたも多いかもしれませんが、いい人材が来ること自体が難しいので、来ていただいた方を大事にしっかり教え育てる責任が自分にはありますし、一番気にかけるところ。

    ワンオペでカウンターのみ4~5席だったら問題ないかもしれませんが、自分がどんなに旨いラーメンを作り、すごい技術を持っていても、スタッフの協力がないと自分1人では何もできないんです。40歳を過ぎていますが、これがいちばん痛感したことで、開業して「人の大切さ」を実感させられた事によって、改めてお客様の大切さにも今更ながら気付かされました。

    元すみれ本店店長・京都店店長・ラーメン博物館 駅 店長を勤めた後、2019年に「三ん寅」を開業。「すみれ」からの暖簾分けとしては「彩未、大島、郷、八乃木」に続いて5店舗目。店名は『寅年の三月生まれ、「ん」は画数から』だそうです。

    テンポスとのかかわり

    お店から近い新宿店を愛用させてもらっています。「厨房機器」と言えばテンポスですから。

    冷蔵ケース・洗浄機・バット・中華鍋・寸胴など開業時にほとんどの機材をテンポスで買いました。「大島」さんの紹介で、開業時の工事をされた方が元テンポスの方で、新宿店のスタッフにも来ていただきました。

    今は、必要時に月1回ペースで、茶碗や小皿を補充しに訪問しています。なくなったら困っちゃいます。(笑)

    近い分、行きは電車で行き、たくさん購入して荷物がいっぱいになり、帰りはタクシーで帰ってくる事が多いです。

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    人の大事さはもちろんですが、ラーメンに関しては「更なる味の追求」に尽きます。

    業界的には、流行りの系統のラーメン、トレンドを抑えているラーメン、斬新な誰もやっていない発想ベースのラーメンが続々と誕生しています。これからも常に進化があると思いますが、自分の場合は、修行先の「すみれ」の味に惚れ込んで今に至ります。

    外部環境にはとらわれずに、惚れた「すみれ」の味を継承し、東京でさらに研削し神髄を極め、札幌ラーメンで地元北海道への恩返しと貢献をしたいです。

    また、お客様が来なくなると、すぐに味をころころ変える店もありますが、そうではなく、信じたことをとことん追求し続けてほしいですね。

    余談ですが、元ラーメン屋の方が面接に来ることもあります。その際に、「三ん寅のラーメンを食べたことがありますか?」と聞くと「ありません。」ということがあるんです。応募理由は、「有名だったので。」と。そんな気持ちではなく、もっと自分の意思を持ってほしいと思います。

    開業してからいろいろなことが絶対にありますので、いちばんに思うのは「どういうことがやりたくて、どういうお店を作りたいのか。」といった点を妥協せず追求してほしいです。これによって精神面などがだいぶ変わってくると思いますよ!ぜひしっかりとした信念をもって頑張っていきましょう!

    とめ

    北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」で17年ほどの修業というと、生まれた赤ちゃんが高校を卒業するくらいの期間。その長期間の修行先での頑張りがあったからこそ、40半ばで新規開業し年齢的なこともあるが、正直、修行時代より大変なこともあるが乗り越えられてきているとのこと。

    「若いころの苦労は買ってでもしろ。」というと時代遅れなのかもしれませんが、「当時の苦労があったからこそ今がある。」と、「札幌ラーメンで地元北海道への恩返しと貢献をしたい。」というお言葉がとても印象的でした。

    地方から上京されて新規開業される方も多いと思いますが、このような経験と心構えが開業後の様々な苦労と困難を乗り越える根源なのかもしれません。

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    店名:三ん寅
    店主:菅原章之氏
    住所:東京都新宿区山吹町 山吹町362 プレステージ362 1F
    TEL:03-6265-3989

  • 【ラーメン店・大島】「自分の感覚が絶対!」北海道・札幌の名店「すみれ」から「のれん分け」後の失敗できないプレッシャーとは?

    【ラーメン店・大島】「自分の感覚が絶対!」北海道・札幌の名店「すみれ」から「のれん分け」後の失敗できないプレッシャーとは?

    東京都・都営新宿線 船堀駅から徒歩8分の立地にある、ラーメン店「大島」はオープンからすぐに人気店となった。店主は、北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」で12年の修業を積んだ大島剛史さん。2人目の「のれん分け」となったが、そこには想像を絶するプレッシャーが・・・。

    開業までの経緯

    北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」で働いていた当時は10年の修行と考えていましたが、結果的に12年の修行を積み「ひとりでも多くの人に本場の札幌ラーメンを食べてもらいたい」という思いから独立。修行先からの暖簾分けを受け、2013年5月に江戸川区船堀に「大島」を開業されました。

    当初は、札幌での開業を考えていましたが、すでに先輩方が札幌の各区にお店を構えられていて「区が埋まっているな。どうしようかな。」と思っていました。

    ちょうどその頃、東京に住んでいた妹が札幌に帰省し、「なんで札幌にこだわっているの?」と言われてから考えが変わるようになり、関東での開業も視野に入れて考えるようになりました。

    しかし、関東へは、出張などで行ったことはあっても土地勘が全くなく、勘違いから始まっているのですが、「東京=江戸」のイメージがあり、「東京都の中心は江戸川区」と思っていたので、中心部で開業したいという気持ちからざっくばらんに「江戸川区」に決めたのですが、後から調べると東京の端にあったことを知りました。(笑)

    他の区の物件も見ましたが、たまたま妹が江戸川区船堀に住んでいたというのもありますが、自分の中では「江戸川区」がなぜか落ち着いたのです。

    妹宅に泊めてもらい物件を探し始めたのですが、江戸川区船堀の地が、なぜか札幌の空気感と同じものに感じ、いいなと思った物件は募集していなかったのですが、とりあえず連絡をしてみたら、なんと1ヶ月後に空くとのことで、縁を感じてこの地に開業しました。

    当初は、北海道でオープン予定だったが、修行中にいろいろなラーメン店を回っているうちに、「関東でやってみたい。」という気持ちが強くなり、結果的に「すみれ」からの独立としては初の東京進出となった。

    「開業に関しては悩むことが多いですが、最終的には縁でしょうか。」と大島さんは当時を思い出します。

    そして、北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」で12年ほどの修業を積んだ後、最終的に東京都・都営新宿線 船堀駅から徒歩8分の立地にオープン。新店ながら「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「大島」一番人気の看板メニュー「味噌らーめん」950円(税込)

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    「すみれ」の最初の暖簾分けは札幌にある「麺屋 彩未」さんなのですが、それから12年後に2店目の暖簾分けということもあり、正直「失敗できない。」というプレッシャーが半端なかったです。

    実は「すみれ」で働く際に、面接担当でもあった「麺屋 彩未」の奥さんとは、「すみれ」で3ヶ月位しか一緒に働いていませんが、今では「北海度でもNo.1クラス」のお店。振り返ると「力の差」をものすごく感じましたし、「カリスマ性」と「飛びぬけた実力」を持たれた方だったので、正直、比べられるのが怖くて、同じ札幌でお店を出したくないという気持ちがあったかもしれないですね。今は、麺屋 彩未の奥さんを目標に頑張れているので、本当にいつも感謝しています。

    また、周りからは「もっと都内や駅近で開業しろ。」と言われ続けましたので、最初は「お客様の客足は弱いかな。」と思っていましたが、「最初は暇でも将来的には伸びる」という腕に自信があったので「挑戦」を決意し、迷った結果、縁を感じ江戸川区に開業し、おかげさまでオープンから多くのお客様にお越しいただいています。

    振り返ると、苦労したというより、楽しくやらせていただいたという記憶の方が強いですが、苦労したことといったら、他店の方も同じかと思いますが「コロナ」だと思います。

    オープンから6年くらいは伸び続けましたが、やっぱりコロナで1回下がりました。そこで、同じ「すみれ」から独立した仲間に聞いたら、「テイクアウトを始めた。」とのことだったので、自分のお店でも始めたら、結果的に成功。「コロナ」がきっかけで、お店の幅を広げてくれたのは間違いないです。

    こういったピンチの際に、「口だけで言う人」と「口だけでなく行動に移し動く人」では、大きな違いが出ましたので、「動くことの重要さ・大切さ」を改めて教えられました。「コロナ」がなかったら、「テイクアウト」はやっていなかったでしょうし、以前はオファーを断っていたネット販売も、これを機に考えを改めて始めた結果、うまくいきました。

    「コロナ」が考え方を改めさせてくれたのは間違いなく、今となってはすごく「ポジティブ」に感じます。

    カウンター8席、テーブル8席のため、行列が絶えない日が続いている。

    開業してみてはじめてわかったこと

    開業した江戸川区周辺では、「すみれ」のカップラーメンは食べたことがあっても、「札幌味噌ラーメン」ないし「すみれ」の味を食べたことがある方がほとんどいないことが分かりました。

    最初は、今の味よりも多少ライトにした東京仕様にしていましたが、開業後に「すみれ」の社長と会う機会があり、「全国からお店に来させないとだめだぞ。」と言われ、そう考えると当時の味ではそれは無理だと感じました。

    また、自分は、勉強のため北海道から九州まで食べ歩くのですが、有名店は「独自の特徴」を持っていることに気付きました。

    こういったことから、社長の言葉が改めて心に響き、今の味にしました。「社長の言葉」って大きいですね。

    「ラードが浮いてニンニクと生姜が効いた、ほんのり甘く香ばしい白味噌ベースの高濃度スープ」が特徴なので、社長から「追加でライスの注文が入ったら勝ちだぞ。」とも言われています。(笑)

    「売れるラーメン屋」と「うまいラーメン屋」は違うと思っています。「うまくても売れないお店」はたくさんあります。そこには「中毒性」や「特徴」を持たせないと、お客様にはまらない時代になったと常に感じるようにしています。

    ラードが浮いてニンニクと生姜が効いた、ほんのり甘く香ばしい「唯一無二」白味噌ベースの高濃度スープが特徴。

    テンポスとのかかわり

    予算がそれほどなかったなか、たまたま外部の設計士の方が、テンポスの森田さんを紹介してくれたのがきっかけです。

    実際に施工を依頼し、今でも森田さんとは修理依頼などで連絡を取っています。依頼したら手抜きをしないし、きっちり対応をしてくれるので信頼が高いですね。

    また、厨房機器・用品もテンポスでしか買わないので、足りなくなったら1年に3回くらいのペースで新宿店、たまに幕張店に行っていますので、これからも良い商品を安く提供してもらえると嬉しいかな。

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    「店舗展開をしないの?」とよく言われますが、正直する気はなく、船堀のお店だけを守って集中していきたいです。

    店舗展開をすると、味が違ってくるし、格も落ちてしまう。「カップラーメン」だったら同じ味になるけど、実店舗では簡単にはいかないです。「すみれ」系の作り方はブレが半端ないので怖いのが正直なところ。

    開業する方へのメッセージとしては、「食べ歩くことの大切さ」です。自分は他の人より絶対的に食べ歩いていると思う。店をやりながら毎週2・3軒は行きますよ。自分のお店を持つ前・持った後関わらず、自信につながり「自分の立ち位置」が分かり確認できるんです。

    有名になっても、他店の味を見ることで、自分のお店の味をキープさせるだけではなく、「ここはうちより負けているな、勝っているな」と分かりますし、時代の流れにも乗り遅れないためにも重要です。

    個人的な見解なので正解はないと思いますが、ぜひ開業を考えている方は実行してほしいです。

    そして最後に言いたいことは「メンタルのブレのなさ」。お客様の声を気にしすぎて「ブレ」が発生することが多い。人生もそうですが、自分の弟子にも「最後はメンタルだぞ。」とはよく言い聞かせています。メンタルがしっかりしている人は、やっぱり普通の人とは違う。メンタル強化のためにも「食べ歩き」は大事です!

    他店の味を見ることで多少の批判があっても「自分は間違っていない。」と自信が持てる。お客様の批判の声があっても、「自分の感覚が絶対」だと思います。自分を信じていきましょう!

    とめ

    北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店「すみれ」で12年ほどの修業を積んだ後、偉大な先輩が最初の暖簾分けをしてから12年後、2店目の暖簾分けということもあり、正直「失敗できない。」というプレッシャーが半端なかったという言葉の重みを感じました。

    開業して人気店となった今でも、食べ歩きを続け、努力を惜しまない大島さん。「賞賛8割・批判2割でいいと思います。」「10割賞賛がある味って逆に特徴がないんじゃない?」という言葉が印象的で、常に自分の立ち位置を確認される「プロ意識」を感じました。

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    #取材協力
    店名:大島
    店主:大島剛史氏
    住所:東京都江戸川区船堀6-7-13
    TEL:03-3680-2601

  • 【ラーメン店・麺場voyage】「今までにないラーメン店を作りたい。」開業への強い想いが生んだ独自の発想!コロナ禍でも顧客のニーズを引き付けたそのワケとは?

    【ラーメン店・麺場voyage】「今までにないラーメン店を作りたい。」開業への強い想いが生んだ独自の発想!コロナ禍でも顧客のニーズを引き付けたそのワケとは?

    JR京急本線「京急蒲田駅」から徒歩5分程。飲食店が並ぶ商店街とは反対方向にあるにも関わらず、平日の昼はサラリーマン客でにぎわう「麺場voyage」は、海を意識したラフだけどどこか「おしゃれ」な雰囲気を醸し出す人気店。基本メニューは「ラーメン」に「つけ麺」に「和えそば」。更には、様々な期間限定メニューが顧客を魅了させているヒミツを店主の貝原光さんに探ってみました。

    開業までの経緯

    貝原さんがラーメン店の開業を志したのは、一般的には就職先が決まり一段落し、最後の学生生活を満喫する時期でもある大学4年生のとき。地元、金沢から東京に上京し、大学に通いながら新横浜のラーメン店でアルバイトを始めました。大学の学園祭で「ラーメン」のお店を出し大盛況となるなど、ラーメンを作る面白さに日々「どっぷり」とはまっていきました。

    今でこそ、人気のご当地ラーメンは数多くありますが、上京した当時、地元の金沢に比べ、東京・神奈川に美味しいラーメン店が数多くあり、それもひとつの理由だったそうです。

    大学では中学・高校の教員免許を取得し、地元で教員になることも考えましたが、「本当に自分のやりたい事は何か。」と考えたときに答えはひとつしかなかったそうです。

    開業に際し、周囲から猛反対されたそうですが、「今までにないラーメン店を作りたい。」という貝原さんの開業への強い想いは揺らぐことなく、卒業後はラーメン店開業のための道へと進んでいきました。

    ラーメン店は基本的に、「単一メニュー」を出す業態でトッピングやサイドメニューの数も少ないのが普通です。しかし開業前に、定期預金で開業資金を貯めるとともに、幅広い食材やお酒の知識を身に付けておくことは最低限しておきたいと考え、ラーメン店以外にも居酒屋やバーで5年間の修行を積まれました。そして貯まった開業資金をもとに、2010年の27歳の時にラーメン店「麺場ながれぼし」を南蒲田で開業されたのです。

    その後、「麺場ながれぼし」で提供していた「限定麺メニュー」を定番化し、今の場所に「麺場voyage」を開業し今に至ります。

    「麺場voyage」一番人気の看板メニュー「潮ラーメン」830円(税込)

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    正直、毎年苦労の連続です(笑)と冗談交じりに話された貝原さん。

    最初の3ヶ月位は全くお客さんが入らず、6月末に開業し8月末には「廃業かな?」と正直感じたそうです。しかし、そこで転機となったのが「取材依頼」が入り始めたこと。それを機にどん底の状態は抜けられたのだそうです。

    その後は、様々な期間限定麺や新しいコンセプトのラーメン作りに力を入れました。「新しいメニューに対しお客様がどのような反応をしてくれるのか。」にすごく興味があったのだそうです。お客様が食べた後のスープの残量や顔色などをいつも「ピリピリ」しながら見ていましたが、後の看板メニューになっていきます。

    そんな中、どの飲食店をも苦しめた「コロナ」が襲来してきたのです。「緊急事態宣言」時などギリギリの状態を味わった貝原さんを救ったのが、コロナ禍前から取り組んでいた「ラーメンの冷凍販売」と「テイクアウト」。コロナ禍になってから対応しノウハウに苦戦した飲食店が多い中、それまでほとんど売れていなかったのが「うそ」のように売れだします。イベントに出てプラスチック容器に入れてラーメンを提供したこともあったので、不安はなく、保健所の許可など、も見直し、あらゆる対策を先手先手で打っていきました。時には店舗内飲食の売上を上回る日も。

    たまたまノウハウがあったからコロナ禍を乗り越えられました。『今後もどういった状況になるか全くわからないので「いろいろなことをやってみる」「挑戦」が大事。』と貝原さんは語られました。

    コロナが落ちついた今でもテイクアウトのリピーターが多く、1人で来店され、4~5食のテイクアウトもご購入いただくと、「客単価も一気に上がり本当にありがたいです。」と感謝を述べられる貝原さんでした。

    地元金沢では定番の「宝の麩」もモチーフにしたホタテ貝型のお麩が印象的なビジュアル。お麩を開けると、中には小さなホタテが現れます。

    開業してみてはじめてわかったこと

    「いろいろなことに対応していかなければいけないということ。個人的には大学まで行っていて良かった。」こう語られるには、飲食店を運営する顧客が目にすることがない裏側の世界の苦労です。

    例えば「お店のレポート作成」。エクセルを使って資料を作成するといった基本的なことも知識がないと苦労します。「知らない・出来ない・分からない」で通用する世界ではないですね。

    自分で調べ学習する力がないと、思いつかないような問題が起きた時に対処方法が浮かばず苦労するので身に沁みますよ。「柔軟な対応」と一言でいっても、こういったベースがあって初めて対応できるのだと思います。

    1~2年目にやらなければいけないこと、3~4年目以降にやらなければいけないことは違ってきます。長くやっていると、様々な情勢の変化があるでしょうから日々考えていかなければならないのでしょうね。

    生ほたてと香ばしいキノコ風味がガツンとくる磯の薫りが豊かな塩清湯スープ
    同じ蒲田にある「菅野製麺所」のストレート麺は、分厚いスープが絡み、バツグンのハリと弾力を残した瑞々しい食感。期間限定メニューに合わせ20種以上の麺を合わせるのだとか。細かい対応に感謝されているとのこと。

    テンポスとのかかわり

    大学の頃、1Kのアパートでラーメンをしていたので、寸胴鍋やレードルを川崎店や新宿店で買ったのを覚えています。自宅でスープを作ったりチャーシューを作ったりして、先程お伝えした学園祭でのラーメン販売もここがきっかけです。

    最初の「麺場ながれぼし」開業時に、川崎店で中古の厨房機器やうつわを購入しました。また、「麺場ながれぼし」を閉めて今の「麺場voyage」をオープンする際に、テンポスの買取り(造作譲渡)を利用しました。一部ではなく、飲食店に関わるほとんどのことをサポートしてくれるテンポスさんには安心感がありますね。

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    物価高で大変な時期で、今週もいつも使っている生卵のサイズが指定で手配できず、いつもより大きなサイズが届き、ゆで時間の調整に苦労しました。少し時間が違うと全く別物になりますから。このようにいろいろなことに対応できる心構えをもつことでしょうか。

    また、キャッシュレスの時代になってきているので「券売機」を変えようかと。「新しい500円玉が使えない」など、時代の流れには対応していかないといけないですね。「キャッシュレス使えないの?」というお客様もそれなりにいらっしゃいますし。また、外国人のお客様も徐々に戻りつつありますので、ここも先手先手で対応が必要かなと思っています。

    券売機のお追い合わせはこちら

    最後に開業する方へのメッセージは、シンプルに「頑張ってください。」かな(笑)あらゆる準備をして色々な対応が出来るようにしておかないと、時代の変化にはついていけないですから。

    季節に合わせた旬の鮮魚貝や野菜を使った期間限定メニューを常時提供されている。

    とめ

    初期投資が低く開業がしやすい一方で、トレンドに左右されやすいことから、ラーメン店は3年で7割が閉店すると言われている。そんな中、東京都大田区、蒲田エリアで移転も含め約13年(2023年時点)ラーメン店を営なんできた麺場voyageの店主、貝原さんに創業から現在までの経営の道のりを伺ったところ、いつまでもチャレンジし続ける店主の強い想いがあふれていました。

    「鮮魚貝」を使った店舗の特徴を覚えてもらえるように、店内のカラーや装飾はマリンテイストで統一した。そのため女性客の利用も多いのだそう。

    また、貝原さんの故郷、金沢の文化からヒントを得た最中のアイディアは、斬新な印象でした。

    「移店のタイミングで何か新しいものを作りたいと考えた時、地元の食材にたどり着きました。金沢には、最中のような焼き麩(ふ)の入れ物の中に、乾燥させた野菜や調味料を入れ、お湯を注ぐだけでお吸い物ができる『宝の麩』という金沢名物のお土産があります。そこから、今のホタテ最中のヒントを得たのですが、いつもメニュー作りでは、美味しいことはもちろん、感動や驚きをお客様に感じてもらう事を切にしています。だからこそ、他の人とは違う視点で物事を考えるように心掛けています。」と東京で開業されても地元を愛する気持ちの強さが印象的でした。「地元愛」は忘れず持ちたいですね。

    ちなみにラーメン店では珍しく、830円までの麺メニューとチャーシューなどのつまみ、そして飲める場所が比較的少ない「ハートランド」のビールなどが2時間飲み放題付きで3,400円(税込)も。「ラーメン+つまみ+アルコール」でゆっくり楽しむのもおすすめです。

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    #取材協力
    店名:麺場voyage
    店主:貝原光氏
    住所:東京都大田区蒲田4-37-7
    TEL:03-6424-5596

  • 【ラーメン店・あさひ町内会】まさに「ピンチをチャンスに」を体現!コロナ禍に反転攻勢できたヒケツとは?

    【ラーメン店・あさひ町内会】まさに「ピンチをチャンスに」を体現!コロナ禍に反転攻勢できたヒケツとは?

    東京都・都営三田線板橋区役所前駅から徒歩3分の立地にある、ラーメン店「あさひ町内会」はオープンから1年で人気店となった。店主は、北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店で10年以上の修業を積んだ本山敬也さん。後悔のない人生を送りたいとオープンしたラーメン店。しかし、オープンから2カ月後にコロナが・・・。

    開業までの経緯

    当初は、北海道でオープン予定だったが、修行中にいろいろなラーメン店を回っているうちに、「関東でやってみたい。」という気持ちが強くなり、結果的に、東京での独立は修行先で一緒に働いていた先輩方の後ろ姿が後押し、道を作ってくれて決意したのだそう。

    「田舎でやるよりも都心でどれだけできるのか、自分の腕を試したい。」と本山さんは当時を思い出します。

    そして、北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店で13年ほどの修業を積んだ後、最終的に東京都・「都営三田線」板橋区役所駅前から徒歩3分の立地にオープン。新店ながら「純すみ系都内御三家」の一軒に数えられる「知る人ぞ知る」人気店になったのです。

    「あさひ町内会」一番人気の看板メニュー「味噌らーめん」900円(税込)

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    苦労したこと、失敗したこと、それらを乗り越えたエピソード

    苦労したことといったら、「コロナ」に尽きるとのこと。

    2020年2月16日にオープン。ところが、オープンしてわずか2カ月後、2020年4月に第1回緊急事態宣言が発令され、売上はカクンと落ち、給料が無い状態が半年も続きました。

    38歳で独立し借金がある状態で、毎日が不安な日々が続きます。行先は見えなかったが、自分だけが厳しいのではなく、周囲の店舗でも同様の声があったので、何とか踏みとどまれたのだそうです。

    今後どうなるのか先行きの見えない状態に不安が募っていくそんな時、女性アルバイトスタッフが、「テイクアウトやりませんか?」と言ってきました。最初は本山さんもプライドがあり渋りました。

    しかし、その子はまた「テイクアウトやりましょうよ」と言ってきたのです。結果的に彼女に押され、テイクアウトを始めることになりました。すると、すぐにテイクアウトだけで1日3万円売れ、4万円売れる日もありました。予想外の結果に驚きつつ、落ち込んでいた気持ちが高まるのを感じたそうです。

    また、味には自信があったので、忘れられないために2か月おきぐらいに限定メニューを試し、外部に発信をし続けた本山さん。

    「こういう時には、いろんな施策を仕掛けることが大切。味には絶対の自信があるからこそ、お店を忘れられてしまうことが一番怖い。今どれだけ悪あがきするか、それが未来を必ず明るくするという思いだった。」と振り返ります。

    渾身の限定メニュー「20年前恋した味噌ラーメン」を1日10食で販売開始。

    今では、定番メニュー化するまでになったが、通常提供しているマイルドな味噌ラーメンと比べて、あえて暴力的な濃さにした中毒になる味噌ラーメンだが、修行時代から、2種類を作ることに抵抗があった本山さん。「1種類で自分が磨き上げてきたものだけで勝負がしたい」と。

    しかし、先輩方からの助言や、お客様から「限定ではなく夜も出してほしい。」という声から、土日通しで販売をすることに。すると、売上自体が一気にアップ。それを限定15→20食と徐々に増やすと、それを目当てにお店の前には朝から行列が出来始めたのだそう。

    その結果、9月頃に雑誌4社の取材、YouTubeの撮影2件が入り、約半年後にラーメンのレビューを中心に活動しているYouTuberが取り上げてくれるまでに。なかでも当時登録者90万人(今では110万人を超える)のラーメンYouTuberが取り上げてくれたことは大きかったそうです。

    そこから「何とかやっていけるかな?」と反転攻勢が始まります。

    本山さんは、こうも語ります。「コロナ禍で何か仕掛けた人と、何も仕掛けなかった人では大きな差が出来てるんじゃないかな。」と。

    「ステイホーム」が続き日常が始まり、「テイクアウト」と「限定メニュー」というコロナ禍前では決して実施しなかったアイデアが、結果的に「ピンチがチャンス」となりました。

    少しは世間から興味を持たれ始めていると感じた本山さんは、さらに自分の思いのたけを綴った動画をSNSに投稿すると、なんと2万回も再生されたのです。

    結果的に、2020年10月以降はコロナ禍の中でも、困らない業績に戻ることに。

    「売上が上がった理由が何だったのか分からない。しかし諦めずに手を打ち続けてきたことが一つ一つ繋がった結果なのだと思う」と、本山さんは話します。

    「テイクアウトを薦めてくれたスタッフに感謝しています。最初にすすめてくれたときは、『少し早いかな』と濁した返事をしていて、“ちょっとしつこいな”とも思っていました。それでも、また言ってくれたんですよね。本当に感謝しています。」と嬉しそうに振り返られました。

    開業してみてはじめてわかったこと

    「自分の規模はまだまだ小さいな。」と思います。

    北海道・札幌にある味噌ラーメンの名店で、当たり前の環境のなか13年修行しているうちは、他の店主の方も同じかと思いますが、「大変さ」が勝り気付きませんでしたが、振り返るとそこから技術など様々な学ぶことが大きく、「楽しかったな」と思います。

    「こんなにすごいところで修業をしていたんだな。」と今更ながらにじみじみと感じます。

    テンポスとのかかわり

    鈴木さんと大脇さんにはお世話になっています。2020年2月の開業前からはもちろんですが、開業後の今でも連絡をさせていただいています。

    店舗の工事業者が元テンポスの方で、その先輩が鈴木さん。そして鈴木さんから業務を引き継いだのが大脇さんで、「テキパキテキパキ」と連絡が速くストレスなく進められ、鈴木さんからも「大丈夫?」と来店してくれます。なので、お二人からの依頼は何でもやってあげようと思ってしまいます。

    「自分でもドン引きの金額です」と言った上で、内装工事に1700万円をかけたと話す本山さん。もともと居抜きとスケルトンの間の状態だった物件は、厨房区画がとても狭かった。それを広げるために一度、内装を壊して作り直した。それだけで300万円の費用がかかったという。「こんなにお金をかけてと、周囲からは心配されましたが、それでも中途半端でやるくらいならという気持ちでした。これまで時間もお金も全部ラーメン作りに費やしてきました。ここで妥協しては意味がない。それに、へんにお金を残しておくと、うまくいかなかったときの逃げ道になってしまうなと。このお金があるから大丈夫、みたいな。だから、運転資金はしっかり確保した上で、後悔しない店を作りました。」

    今後の展望・開業する方へのメッセージ

    今は、「店舗数を増やすのではなく、板橋の店舗を守って少しでも良くしていきたい。」と思っています。

    これから開業される方へのメッセージとしては、「ピンチの時こそチャンス」ということでしょうか。「どれだけピンチの特に悪あがきしてネタを蓄積させ、ピンチを乗り越えた時にいかに爆発させるか。」

    「あきらめないでやり続ければ、きっと報われますよ。」最後の本山さんの言葉が胸に響きました。

    ぜひ開業を目指している方は、自分だけが大変なのではなく、他の店主も苦しみ様々な試練を乗り越え今に至っていることを忘れないでほしいです。

    また、しいて言うなら「自分の店で頑張ってくれている従業員は大事にしてほしい」ということ。店主になると、雇われていた時と違って、自分一人では何もできません。自分の事やお金のことだけを考えず視野を広く持ち、ゆとりを持つべきだと思います。

    とめ

    開業して人気店となった今でも、ほとんど贅沢はしていないという。総菜も割引にならないと買わないよと、ニカッと話す本山さん。

    今後は店舗展開するよりも、この店をもっと良いものにしていきたいと考えていらっしゃいます。「本当においしいものをずっと、ずっと追求していく。お客様に喜ばれているか、自分は知らず知らず手を抜いていないか。ひたすら、良いものを作っているか?お客様は喜んでくれているか?」 を考え、100%のものを提供していきたいと力強く話してくれました。

    テンポスドットコムでは、様々な視点からラーメン店の開業成功を全力で応援します。
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    #取材協力
    店名:あさひ町内会
    店主:本山敬也氏
    住所:東京都板橋区板橋3-5-1 リビオタワー板橋 1F
    TEL:03-6915-5569